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なら しずま

奈良静馬

なら しずま

1886(明治19)〜 1947.3.12(昭和22)

大正・昭和期の出版人(講談社)

埋葬場所: 25区 1種 48側

 大分県出身。中津中学校を経て早稲田大学を卒業。その後、群馬県の旧制沼田中学校で英語教諭としてつとめた。
 1916(T5)ハワイに渡り、さらに'19からアメリカ各地で日本語学校校長などをつとめ、その間、スタンフォード大学でマスターオブ・アーツ、マスターオブ・フィロソフィーの二つの学士号を得た。 帰国後'30(S5)講談社に入社、翌年欧米の出版界を視察。野間清治社長の命で日本雑誌協会の講談社代表となり、のち会長代行をつとめ、さらに日本出版文化協会の理事をつとめた。 戦後は日本出版協会設立の中心となるなど幅広い活動を行った。著書に『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』(1942)がある。

<出版人物事典>
<MATSU様より情報提供>
<奈良静馬のお孫様の奈良健彦様より情報提供>


墓所

*墓石は洋型「奈良家」。右側に洋型「奈良静馬 / 室 敏枝 之墓」が建つ。裏面に「昭和二十八年秋彼岸 奈良晴彦 / 久弥 建之」と刻む。「奈良家」の墓石の右面には「二〇〇一年七月吉日 奈良久彌 建之」と刻む。

*長男の奈良靖彦(同墓)は外交官、次男の奈良久彌(同墓)は三菱総合研究所社長・三菱銀行副頭取・連合三田会副会長などを務めた。

*久彌と正子は麻布山善福寺に別の墓を設け、多磨霊園には分骨として眠る。なお、多磨霊園の墓は次男の久彌が継承したため、長男の奈良靖彦は眠っていないとのことをご遺族様よりご連絡を頂戴しました。「歴史が眠る多磨霊園」は人物をきっかけに歴史を学ぶコンセプトとしているため、その旨を記載した上で奈良靖彦のページを残します。

<奈良静馬のお孫様の奈良健彦様より情報提供>


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