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なら ひさや

奈良久彌

なら ひさや

1923(大正12)〜 2016.4.11(平成28)

昭和・平成期の銀行家、実業家

埋葬場所: 25区 1種 48側

 アメリカ・カリフォルニア州出身。父は出版人で講談社取締役などを務めた奈良静馬、敏枝(共に同墓)の次男で、父がアメリカで日本語学校校長を務めていた時に生まれる。長男は外交官の奈良靖彦(同墓)。
 1947(S22)慶應義塾大学経済学部卒業。三菱銀行に入行し、様々な要職を経て三菱銀行副頭取(三菱東京UFJ銀行)に就任。連合三田会副会長などを歴任した。三菱総合研究所社長に就任。退任後は会長、相談役、特別顧問となった。経団連金融制度委員会企画部会長や日本ナレッジメント学会会長も務める。
 1991(H3)すてきなお父さんに与えられる第10回ベスト・ファーザー賞を王貞治、中村勘九郎、三浦友和、倉本聡と受賞。著書に、1990『企業経営の分析』、1992『全予測日本』を三菱総合研究所の共著として刊行。2007『私の歩んだ道』(講談社)がある。病気のため逝去。享年93歳。告別式は近親者のみで行った。喪主は長男の健彦。

<訃報記事など>


墓所

*墓石は洋型「奈良家」。右側に洋型「奈良静馬 / 室 敏枝 之墓」が建つ。裏面に「昭和二十八年秋彼岸 奈良晴彦 / 久弥 建之」と刻む。「奈良家」の墓石の右面には「二〇〇一年七月吉日 奈良久彌 建之」と刻む。

*久彌と正子は麻布山善福寺に別の墓を設け、多磨霊園には分骨として眠る。なお、多磨霊園の墓は次男の久彌が継承したため、長男の奈良靖彦は眠っていないとのことをご遺族様よりご連絡を頂戴しました。「歴史が眠る多磨霊園」は人物をきっかけに歴史を学ぶコンセプトとしているため、その旨を記載した上で奈良靖彦のページを残します。

<奈良静馬のお孫様の奈良健彦様より情報提供>


※「久弥」と表記する場合もあるが、ここでは「久彌」で統一します。


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