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なかじま げんたろう

中島源太郎

なかじま げんたろう

1929.2.11(昭和4)〜 1992.2.7(平成4)

昭和・平成期の映画プロデューサー、政治家

埋葬場所: 9区 1種 2側 3番

 群馬県出身。父は中島飛行機(富士重工)創設者で代議士の中島知久平。息子に政治家の洋次郎(全員同墓所)がいる。1951(S26)慶應義塾大学卒業後、大映に入社。 映画プロデューサーとなり、原作に56「宇宙人東京現る」、57「深夜の定期便」、58「夜霧の滑走路」がある。 また61「明日を呼ぶ港」、「うるさい妹たち」、62「黒の追走車」などの企画を担当し、68「丸尾の狐と飛丸」などの動画の製作も務めた。
 69(S44)群馬2区から衆議院議員に当選し、自由民主党の安倍派に属した。87(S62)11月6日〜88(S63)12月27日まで、竹下登内閣の文部大臣を務める。

<国会議員名鑑など>


墓所

*広大な墓所に中島知久平と中島家の大きい墓石が二基建つ。建立者は中島源太郎で、裏面に名が刻む。 右側に墓誌があり、知久平・源太郎・洋次郎の名が刻む。

*中島飛行機三鷹研究所本館・中島飛行機格納庫跡・中島知久平邸が今でも現存しており、国際基督教大学(ICU)校内にある。 また、現在のICUと富士重工の敷地は中島飛行機の主要地であり、その脇を通る西武多摩川線からは、戦前、中が見えないように線路に沿って壁が続いていたという。 (地元の人談)更に、飛行機を隠す掩体壕なども府中市内には現存している。多磨霊園内にも戦時中、多くの飛行機が隠された。


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