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ながお よしまた

長尾喜又

ながお よしまた

1920(大正9)〜 2001.7.24(平成13)

昭和・平成期の英米演劇研究家、翻訳家、教育家

埋葬場所: 22区 1種 38側 1番

 祖父は医学者・医文学出版人の長尾藻城(同墓)。弟に土木学者で京都大学名誉教授の長尾義三(同墓)がいる。
 文化学院文学部、東京外語仏語科を卒業後、文学座に準座員として入団後演出部員となり、研究劇団「チルラ」を主宰。慶應大学文学部卒業。アメリカ留学。東京都江東区の中村中学・高等学校の教諭を経て、東京都武蔵野市にある吉祥女子高等学校にて英語科主任として長年教壇に立つ。
 主な著書に聖劇集『人の子』(1956)、『地の塵 一通信兵の敗戦行記』(1996)、『回想譜 長集2』(共に春秋社 1982)。翻訳に『ソ連生活三十年』(創元社)、『キリスト教の演劇』(著:J.アムラン ドン・ボスコ社 1960)、『私のひだり足 ある脳性マヒ患者の手記』(著:クリスティ・ブラウン 中央出版社 1961)、『悲傷の樹』『転生の華』『無鳥の夏』『不死鳥の国(上下)』自伝的中国現代史 全5巻(著:ハン・スーイン 春秋社 1970−86)、『マイ・レフトフット クリスティ・ブラウン物語』(春秋社 1990)。研究『モリエールの宗教的背景』、放送劇『晩春』、歌舞伎劇『細川ガラシア夫人』、オペラ演出『受難』などがある。享年81歳。

<著者略歴など>
<長尾喜又の娘 星野夕美様から情報提供>


長尾藻城翁之碑

*墓石は「長尾家之墓」。左右に墓誌があり、左の墓誌から代々の刻み、右の墓誌へと続く。喜又は右の墓誌に刻む。墓石右側には「長尾藻城翁之碑」が建つ。墓石は昭和十一年八月に長尾正男と健弘が建之したと裏面に刻む。


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