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ながお そうじょう

長尾藻城

ながお そうじょう

1866(慶応2)〜 1936.5.14(昭和11)

明治・大正・昭和期の医学者、医文学出版人、詩人

埋葬場所: 22区 1種 38側 1番

 香川県出身。高松藩医長の長尾篤斎(とくさい)の長男。名は折三(せつぞう)。藻城は号。ペンネームは猪台麓人(いのだいろくじん)。その他に煙雨楼主人(えんうろうしゅじん)、長尾肱斎(ながおこうさい)という名も使う。宮武外骨の竹馬の友。1907(M40)から没するまでは京浜にて活動。
 医学書を多く書き、医文学出版人としても活動した。主な著書に『噫医弊』『医家の薬室』『海水浴談』『業外剰筆』『高松新繁昌史』『日本転地療養誌』『先哲医言』『北西遊記』など多数。詩人としても作品を出した。脳溢血で逝去。享年70歳。'37没後、長尾美知により『藻城遺稿』が刊行された。

<香川県人物人名事典など>


長尾藻城翁之碑

*墓石は「長尾家之墓」。左右に墓誌があり、左の墓誌から代々の刻み、右の墓誌へと続く。墓石右側には「長尾藻城翁之碑」が建つ。墓石は昭和十一年八月に長尾正男と健弘が建之したと裏面に刻む。

*左側の墓誌は右から、杏斎長尾恒彦から始まる。長尾杏斎は『奚疑堂』を設立した讃岐国(香川県)の医師。妻はキヨ。次に、鷲岳長尾益吉。医師であり詩人でもあって『奚疑堂詩集』を発刊している。名前を元益と書かれていることが多いが、墓誌には益吉と刻む。妻はヨネ。次に刻まれているのが、藻城長尾折三である。長尾鷲岳の書物を出版もした。妻は延子。以降は、毅一、猶子、馨二、剛三、博愛、峯子、昭夫、長子、和男、弘、壽恵子が刻まれている。

*右側の新しい黒御影の墓誌には、無縁一切之霊と刻み、長尾冨美子から始まる。次の長尾健弘(たけひろ)は墓所建之者。豊子。長尾義三は土木工学者。正男も墓所建之者。和子。長尾喜又は英米演劇研究家・翻訳家。良太。信。この順番で名前と没年月日、行年が刻む。


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