福島県出身。父が軍人であったことから陸軍幼年学校に入る。太平洋戦争で日本が敗戦したことにより価値観が崩壊する中、新約聖書の一節にある《汝の敵を愛せよ》(汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ)の言葉に衝撃を受け、教会に通うようになる。
1955(S30)東京神学大学大学院修士課程修了。在学中に西片町教会の鈴木正久牧師に出会い師事。この頃、ナチスに処刑されたドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの著書を読み始めたことから、生涯をその研究にささげることになる(後にボンヘッファー研究の第一人者)。修了後は日本基督教団安城教会の開拓伝道に7年間従事し、岡崎教会の牧会に携わる(〜'74)。
'66〜'68西ドイツに留学し、組織神学を専攻。'74〜'78西ドイツに滞在して南西ドイツ福音主義教会世界宣教部研究主事を務めた。帰国後、'78〜'97(S53-H9)東京女子大学教授としてキリスト教学を教える。停年退官し名誉教授。
'78帰国し教授を務める傍ら、「市谷集会」を発足。'83教団の伝道所として認可を受け、名称を「みくに伝道所」とする。会堂は持たず都内に場所を借りて礼拝を行った。'97(H9)大学を停年退官をし、「上原教会」と「みくに伝道所」が合同して「代々木上原教会」となり初代牧師となった。上原教会は「赤い牧師」として「信仰はキリスト教、実践は共産主義」を主張した赤岩栄(同墓)が創立した教会である。2010(H22)80歳をもって牧師職を隠退した。就任時から週刊エッセイ『牧師室から』を執筆(現在は代々木上原教会のホームページに移転)。
主な著書に、『西ドイツ教会事情 古くて新しい教会』、『いのちへの道』(1984)、『ボンヘッファー』(1991)、『いのちを望む神 今キリスト教を考える』(1992)、『荒れ野の旅に先立つ主 説教集』(1994)、『あなたはどう生きるか―現代キリスト教倫理入門』(1997)、『十戒に学ぶ』(2009)、自伝『良き力に守られて―一牧師の歩んだ道』(2013)などがある。また、訳書は、E・ベートゲ『ボンヘッファー伝 1』、『ボンヘッファー獄中書簡集』、カール・バルト『キリスト教倫理 III 生への自由』など多数ある。
療養中の施設で召天した。享年87歳。告別式は、岐阜市の同盟福音基督教会芥見(あくたみ)キリスト教会の鴨下直樹牧師の司式により、家族のみで行われた。