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もりたに ごへい

守谷吾平

もりたに ごへい

1866.11.6(慶応2)〜 1929.4.8(昭和4)

明治・大正期の実業家

埋葬場所: 2区 1種 7側

 守谷金八の三男として備中浅口郡鴨方村に生れる。 岡山県師範学校を卒業して小学校教員となり、校長に進んだが、1890(M23)実業に志し教職を辞し上京して慶応義塾に入る。
 1893卒業と共に三井組地所部に入り、のち芝浦製作所に転じ、更に三井銀行に移り、次いで王子製紙会社経理部長となる。 4年勤務の後1901独立して守谷商会を開き、鉱山用諸機械の販売に従事した。 以来鋭意事業の拡張に力を尽くし業運の進展と共に各地に支店、出張所を設け、1918(T7)には株式組織となし、取締役社長に就任。 海外各地に出張所を設けて進出を計り、国産品の発展に尽力した。 外に日本電飾、日本銑鋼、中華紡績、日東製鋼、東洋護謨等諸会社の重役を勤めた。

<日本人名大事典>
<MATHU様より情報提供>


*守谷吾平の長男の守谷正毅(1888−1972.5.30)も同墓に眠る。吾平の後を継ぎ、守谷商会会長を歴任。 著書に『創業満五十年を顧みて』 (1953) 、『種のないところに芽は出ない』 (1961) がある。


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