岡山出身。守谷商会創業者の守谷吾平(同墓)の長男。 守谷商会は、1901.3(M34)父の守谷吾平が東京市京橋区三十間堀において創業し、優良国産機械類の推奨販売を目的として営業を開始。'18.1(T7)株式会社に組織変更し、'28(S3)本社を中央区八重洲に移転し現在に至る。翌'29.4.8父で初代社長の守谷吾平逝去。 これに伴い、'30(S5)より守谷正毅が2代目社長に就任。以降、戦中戦後の幾多の困難を乗り越え、あらゆる機械を取扱う機械専門商社へと発展させた。30年間社長として活動し、'60息子の守谷一郎に社長の座を譲り、会長に退いた。東京商工会議所の要職もあった。 著書に『創業満五十年を顧みて』 (1953) 、『種のないところに芽は出ない』 (1961) がある。
*墓石は和型「守谷家之墓」。 *守谷正毅の妻の照子は無線通信機発明者の松代松之助(2-1-7)の長女。
守谷吾平、 松代松之助