メイン » » » 森永為隆
もりなが ためたか

森永為隆

もりなが ためたか

1940.11.5(昭和15)〜 2000.6.14(平成12)

昭和・平成期の実業家(日新製糖)

埋葬場所: 10区 1種 1側

 福岡県出身。日新製糖創業者の森永為貴、正子(共に同墓)の長男。弟(2男)の森永正隆(S17生)は日新建設社長、日新舗道建設社長、日新不動産社長を務めた。弟(3男)の森永吉隆(S22生)は日新製糖専務、テンノットツアーズ社長、東新産業専務を務めた。弟(4男)の森永秀夫(同墓)は日新製糖副社長を務めた。
 1963(S38)慶應義塾大学商学部卒業。ノースウェスタン大学に留学。卒業後、日新製糖に入社。販売部長 兼 社長室長を務め、'69 日新製糖取締役、'71.5 日新製糖常務、'73.11 日新製糖専務、'77.6 日新製糖副社長を経て、'89(H1)3代目 日新製糖社長に就任した。この他、東新産業、日新カップの各副社長、日新フラクトース、ニューポート産業、日新健康増進センターの各社長、日新舗道建設、MSMなどの取締役を歴任した。
 '89(H1)日新製糖社長に就任後、'93 弟の秀夫が副社長、弟の吉隆が専務となり、弟の正隆は日新不動産社長に就任(1992)し、日新製糖は息子たちに引き継がれ、父からの世代交代をする。'98.4.20 父の森永為貴が逝去。しかし、父亡き後に日新製糖は大きく傾いていくことになる。
 '99(H11)日新製糖は3月期の決算で348億円の特別損失を計上し、最終損益が235億円の赤字に転落した。子会社が開発していたゴルフ場が、資産の評価替えをしたのに伴って348億円の特別損失を計上し、それを日新製糖本体が子会社事業損失引当金として引き受けたのが大きな理由であった。この環境激変を読めずにゴルフ場開発で多額損失を出した責任を負うため、社長の森永為隆、副社長の森永秀夫は引責辞任した。為隆は会長、秀夫は取締役に退いた。だが、すでにこの時、食道がんにおかされており翌年、逝去。享年59歳。通夜、密葬は近親者のみで行い、翌月に社葬が執り行われた。喪主は妻の章子がつとめた。

<帝国人事興信録>
<日新製糖三十年史>
<日新製糖HP沿革など>


*墓石正面「森永家之墓」、右面「平成五年六月吉日建之」。右側に墓誌が建つ。森永為貴の妻で母の正子(T6-H5.2.28歿・行年76才:春光院妙正日薫大姉)から刻みが始まる。父の森永為貴の戒名は常光院法勵日為居士。次に森永為隆(S15-H12.6.14・行年61才:一乗院法瑩日隆居士)、弟で四男の森永秀夫(S24-H28.4.28・行年68才:慈教院法徳日秀居士)が刻む。

*【「日新製糖」繁栄と低迷】は森永為貴の頁に詳しく記す。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。