東京出身。父は弁護士・政治家の三輪寿壮、母は總子(共に同墓)。兄はデザイナー・三輪環造形研究所所長・武蔵野美術大学名誉教授の三輪正弘。
1951(S26)東京帝国大学医学部卒業。第3内科学教室で臨床血液学の研鑽をつみ、'61米国留学中、ピルビン酸キナーゼ欠乏症を発見、医学史上に残る業績をあげた。
この発見を契機に、溶血性貧血と赤血球エネルギー代謝に深く関心を抱き、帰国後、放射線医学総合研究所、虎ノ門病院、山口大学医学部教授を経て、'79東京大学医科学教授となり、'85東京大学医科学研究所付属病院長。退官後、冲中記念成人病研究所長を歴任。
血液学、人類遺伝学を専門とし、その研究業績は「赤血球酵素異常による遺伝性溶血性貧血」という新しい疾患群の存在と病因を明らかにすることにより、従来原因不明なまま的確な医療ができなかった症例に、病因に応じた治療対策を可能にしたことである。
一貫した溶血性貧血と赤血球エネルギー代謝に関する研究業績に対して、'71ベルツ賞、'79日本人類遺伝学賞、'81武田医学賞、'83日本医師会賞、'90(H2)紫綬褒章、'97学士院賞、'99勲2等瑞宝章を受章。
著書に『貧血』、『血液の話』がある。東京大学名誉教授。医学博士。肺炎のため東京都新宿区の病院で逝去。享年78歳。通夜、葬儀・告別式は護国寺にて営まわれた。