東京出身。父は弁護士・政治家の三輪寿壮、母は總子(共に同墓)の長男。弟は血液学者・内科学者の三輪史朗(同墓)。
1949(S24)東京工業大学建築学科卒業し、新建築社に入社。「新建築」誌編集長を任される。'53退職し、株式会社アール・アイ・エー創立。'70株式会社三輪環境造形研究所設立。翌年株式会社三輪正弘環境造形研究所を設立。'71東京造形大学教授に就任。'76同大学を退職し、'77より武蔵野美術大学教授に就任した(後に名誉教授)。
'80インテリアデザイナー協会会長、東京インテリアプランナー協会(JIPAT)初代会長を歴任。'83軽井沢分室開設。軽井沢オリンピック記念館などを設計した。'85株式会社三輪環境計画に社名変更。'88インテリア部門の充実を図り、「インテリアから外を創る Inter Space」に取り組む。ニューヨークにて“場の場”をテーマに個展を開催するなど活動した。'92(H4)銀座「ギャラリーさんよう」にて個展を開催。中国上海にて日中建築交流展を開催した。
主な著書に『環境デザインの思想』(1991)、『インテリアデザインとは何か』(1985)、『書斎を持つ法』 (1979年)、『これからの住まいとインテリア』 などがある。2003『近代を耕した明治の起業家 雨宮敬次郎』を編集。他に西村俊一との共著『やっぱり書斎がほしい―知的創造空間の設計』(1992)がある。誤嚥(ごえん)性肺炎のため逝去。享年89歳。