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みなとや こりゅうまる

港家小柳丸[初代]

みなとや こりゅうまる

1893(明治26)〜 1935.6.10(昭和10)

大正・昭和期の浪曲師

埋葬場所: 3区 1種 29側(栗原家)

 東京(本所)の桶屋の七人兄弟の長男に生まれた。本名栗原留吉。 近所に寄席があった関係から、子供の頃から浪花節に興味をもち、小学生になると節を口ずさみ十二才から十五才位まで町の天狗連で鳴らしていたが、十五才の時に港家柳蝶の門に入り、小蝶と名乗ってプロとなった。 のち小柳となり、小柳丸と改名した。劇場に進出する浪曲師の中にあって、あくまでも市井の哀感をうったえて、何ともいえぬ仇な節を聴かせた寄席の芸人であった。 「亀甲組」「明石の斬捨」「深川裸祭り」「関宿六人男」「小猿七之助」「黒駒勝蔵」などを得意とし、独特な節節に合わせて、一言、一言噛んで含めるような啖呵が、小柳丸節の愛好者を熱狂させた。
 大変な酒豪家で、寄席の高座を無断欠勤することもしばしばであった。 変わった趣味があって、蛇を好み、バスケットに入れて楽屋に持ち込んだり、また犬好きでもあり、本宅と妾宅にも数匹飼っていたという。 小柳丸の一番下の弟が、喜劇役者の堺駿二(タレントの堺正章の父)で、この堺駿二が役者として弟子入りしたのが、「俳優早川雪洲」のところであった、これは小柳丸と雪洲とは仲が好かったからである。 葬儀は、向島須崎の自宅で、二代重勝(初代重松)、東家楽燕、木村友衛、浪花亭綾太郎、広沢虎造、玉川勝太郎らが集まって盛大に行なわれた。享年42歳。

<浪曲人物史>
<森光俊様より情報・写真提供>


*墓正面「先祖代々之墓」と刻み、台石に「栗原」とある。墓誌「法光院留譽小柳丸居士 昭和十年六月十日 俗名栗原留吉」と刻む。


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