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みなみ だいぞう

南 大曹

みなみ だいぞう

1878(明治11)〜 1945.2.26(昭和20)

大正・昭和期の医師(南胃腸病院長)

埋葬場所: 10区 1種 2側

 近藤玄貞の二男として福島県に生れる。近藤達児(衆議院議員、1875-1931)の弟。南二郎の養子となり1921(T10)分家。
 1905(M38)東京帝国大学医科大学を卒業。1910(M43)〜1912(T1)ドイツに留学。1913(T2)医学博士。二年後、南胃腸病院を開設して一般診療に従事。 著書に広く知られた『胃腸病診断及治療学』などがある。日本消化器病学会会長、癌研究会理事長、日本医科大学教授などを歴任した。 全国的に有名な医師で、日本各地から旅館を予約して治療に通う患者がいた程だった。 「私の指先には目が付いている」というのが得意のセリフで、最盛期には「手を当てるだけで病気が治った」 という逸話まで残っている。これは無意識のレベルでプラナ治療を行っていたとする節がある。その素養を受け継いでいるのが、孫である田島千枝子だ。 千枝子は女優として松竹映画、やテレビ番組に出演していた女優で、結婚後の38歳の時に鍼灸学院でマッサージの勉強を開始した。 プラナ療法の創始者である山田真一の直系の孫弟子であり、正当な継承者としてその精神と技法を現在に伝えている。

<人事興信録>
<『朝日新聞』昭20.3.1>
<MATHU様より情報提供>


墓所

*墓石は洋型「南家墓」。左右の面が墓誌となっており、南大曹は右面に戒名は南窓院馨徳天曹大居士と刻む。俗名の刻みはないが没年月日は刻む。養父の南二郎夫妻の刻みから始まる。裏面は「昭和十五年 南大曹 建之」と刻み、「蘇峯 徳富 正敬」と左側に刻み、墓石の書は徳富蘇峰(6-1-8-13)であることがわかる。

胸像 胸像

*墓所左側に「南大曹先生像」が建つ。像は昭和5年七月に北村西望の作で、南胃腸病院 南窓会寄贈であることが裏面にある。

*子の南博(1914.7.23-2001.12.17)は一橋大学名誉教授の社会心理学者。「『学者渡世―心理学とわたくし』を中心として」の中に父を回想している頁がある。以下抜粋。

 父である南大曹は一日百人の患者を診断するほど多数の患者を診ていた。あまりにも患者が多いので、急診券というのを発明したという。急診券というのは急行券と同じで、割り増しを出した患者は、列を3人とか5人とか飛ばして優先的に診てもらえるもの。非難される面もあったが、これが有名となり、お金を持っている患者は率先的に活用していたようだ。急診と言っても、南大曹の診断は非常に早いので長い間患者を待たせるわけではなかった。お金がある患者からできるだけいただいて、そのかわり百人のうち二割ぐらいの乏しい患者を無料で診断をしていたいう。南大曹の妻が経理全般を行っており、帳簿にドイツ語でフライの略字で「F」と記された患者は無料診断であった。

*子の南博の師は数学者の高木貞治(24-1-61-18)であり、教え子に石原慎太郎ら著名人も多数いる。また妻は新劇女優の東恵美子(1924.10.19-2010.1.8)で、日本で早くから夫婦別姓婚を行なった夫婦としても知られた。その婚姻関係は「自由結婚」「別居結婚」「日本のサルトルとボーヴォワール」などとも呼ばれ、マスコミなどでも話題になった。南博も東恵美子も亡くなっているが墓石には名前が刻まれていない。


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