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まつだいら そうえん

松平宗圓

まつだいら そうえん

1870(明治3)〜 1942.1.23(昭和17)

明治・大正・昭和期の茶人、子爵

埋葬場所: 10区 2種 16側 8番の2

 出雲母里藩10代藩主の松平直哉(同墓)・道子の子。本名は松平直敬(なおよし)。宗圓は号。
 宗圓は茶人として不昧流の5代目であり、後に「石州流不昧派」を開祖した人物である。不昧流(ふまいりゅう)は、出雲松江藩七代藩主の松平不昧に始まり、その茶系を継いだ初代藤井長古(宗与)は、松江藩茶堂として不昧公御流儀を藩士に広めた。 初代の娘婿の2代目藤井長古(宗古)の弟子に、安喰善知と為石九方がおり、安喰善知の門人が松平宗圓(直敬)である。主に、皇室や学習院で茶の湯の指導にあたるなどして、関東地方に広めた。
 父の直哉没後、1900(M33)11代藩主となり、子爵を受け継いだ。1902私立東京女子体操学校(東京女子体育大学)設立に際して初代校長を1年間務めた。その後は、貴族院議員(子爵議員)として活動。 主な著書に『お茶のたて方』(T15)、『作法と禮式』(S3)、『花の生け方』(S6)、『正しい日常の作法』(S7)、『作法と礼式』(S8)などがある。
 宗圓没後は長男の直一(2000.9.21没)が子爵を継いだ。直一は戦後、海上保安庁海事検査部長、財団法人日本舶用品検定協会会長などを務めた。 長女の初子は茂山鉄鉱開発株式会社専務取締役の津田利機に嫁ぎ、子の津田眞澂(1926〜2005)は一橋大学名誉教授、経済学博士、労働学の権威である。なお、津田眞澂の墓所は東京都台東区の寛永寺第二霊園(竹内家)にある。

<日本の茶家>
<日本の名門1000家など>


墓所


【石州流(せきしゅうりゅう)】
 大和小泉藩二代藩主の片桐石州が開祖。千道安からその弟子桑山宗仙にと伝わった利休流茶道を継承して、さらに独自の風格と作意を加えて創始。 江戸時代を通して、最も広汎な広がりを持つ大名流の茶の流派。


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