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まつだいら なおとし

松平直哉

まつだいら なおとし

1848(弘化5)〜 1899.12.30(明治32)

出雲母里(もり)藩主(越前系10代)、子爵

埋葬場所: 10区 2種 16側 8番の2

 父は出雲母里藩九代藩主の松平直温。幼名を悦之進、また主計頭とも言う。元治元年、幕府より長州征伐の援兵を命じられ、このとき初めて帰藩するが、藩邸がないため家老の邸宅に藩在する。 このとき出雲国能義郡宇賀荘村雲樹寺まで出張するが、参戦には至らなかった。鳥羽・伏見戦にあたって恭順した。慶應4年閏4月、江戸藩邸を引き払い母里に帰国した。 1884(M17)7.8母里(出雲)藩・1万石の武家として子爵を授爵し、貴族院議員(子爵議員)となった。従5位。

<幕末維新江戸東京史跡事典(多磨霊園篇調査協力)>


墓所 宝篋印塔

*港区天徳寺より改葬され、合葬墓が建てられた。

*妻の道子(1925.1.8歿)は下総国佐倉藩第5代藩主の堀田正睦の娘。なお堀田正睦は千葉県佐倉市の甚大寺に眠る。

*直哉没後家督を継承した松平直敬(1942.1.23歿)も貴族院議員(子爵議員)として活動。直敬没後は松平直一(2000.9.21歿)が家督を継承した。

*松平直敬は松平宗圓とも言い、茶人として石州流不昧派を開祖した人物である。


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