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まるやま たけあき

丸山竹秋

まるやま たけあき

1921.3.29(大正10)〜 1999.7.17(平成11)

昭和・平成期の社会教育家、倫理研究所二代目理事長

埋葬場所: 3区 1種 34側

 福岡県豊前市出身。倫理研究所初代理事長の丸山敏雄と教育者のキクとの長男として生まれる。弟の豊樹は日本大学教授として数理倫理学等を担当した教育者。 画才のあった父は、わが子を将来は画家にしたいという気持ちがあり、三月の異名で、雅号としてもふさわしい「竹秋」の名を授けた。
 父の転勤にともなって九州各地を転々とし、広島にも移り住む。父が校長を勤めた財団法人中野中学校(明治大学付属中野高校)を経て、旧制広島高等学校から東京大学文学部哲学科に進む。 とくにカント哲学を熱心に研究。1943(S18)卒業し、大学院に進むも、間もなく学徒出陣を命じられる。 幹部候補生としての訓練を受け、陸軍中野学校に入校。終戦後は大学院に復帰し、小説家を志望して作品を書いていたが、父の敏雄の倫理運動に対する行動や悲壮な決意を見ているうちに、その仕事を手伝うことを決心した。
 草創期の倫理運動に参画し、父とともに苦楽をともにし、発展と普及に尽力。'51.12.23父没後は、倫理研究所二代目理事長に就任。 '96(H8)長男の丸山敏秋に三代目を譲り退任するまでの44年間の長きにわたり重責を努めた。この間、'52竹秋が『新世』編集部編集長をしていた際に、編集部員として勤務していた和子と知り合い結婚。 翌年、長男の敏秋が誕生。'80倫理法人会発足させるなど国内で活動をすると同時に、'78米国ロサンゼルス、'86台湾に拠点を開設し、'90(H2)法人会員1万社を達成(H16法人会員4万社達成)するなど尽力した。 '89藍綬褒章、文部大臣賞。'96理事長退任後は倫理研究所会長。日中友好にも力を注いだ。主な著書に『新経営倫理学』『こうすれば人類は救われる 悪と平和の倫理』『聖者の善悪観』など多く、『丸山竹秋選集』全3巻もある。享年78歳。

<幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝 丸山敏秋 など>


墓所

*「常居其全」「至誠の〇〇」と刻む墓石(S33.10建之)が二基建つ「社団法人倫理研究所物故職員墓所」がすぐ近くの3区1種31側にある。倫理研究所で職員として活躍され亡くなった方々の名前が刻む墓誌も建ち、二代目理事長の丸山竹秋の刻みも見れる。また墓誌の最後に下記が刻む。「平成二年以降の物故会員功労者の方々に唐纒(からうと)が一杯になったため『芳名録』に記録し、永く保存させていただきます。なお『芳名録』は石塔左横の『物故会員功労者芳名録収納庫』に保管してあります」

*丸山敏雄の内弟子で倫理研究所四天王のひとりである鳥居武二(3-1-31)が眠る鳥居家の墓は倫理研究所物故職員墓所の真裏に建つ。


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