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くさま たくじ

草間卓次

くさま たくじ

1911.6.14(明治44)〜 2004.10.26(平成16)

昭和・平成期の医者、海軍軍医(大尉)

埋葬場所: 6区 1種 16側 31番

 東京都港区芝出身。病理細菌学者で父・草間滋、母・鏡(共に同墓)の次男として生まれる。 第一高等学校、東北大学医学部を卒業。
 海軍軍医(大尉)、立川病院、小金井病院等を経て、国立所沢病院内科医長。 同病院を定年退職後、緑風荘病院、篠原病院に勤務。 極めて温雅な人柄で患者や病院関係者の信望を集め、90歳に至るまで現役医師を勤めた。 医学博士。享年93歳。

<草間滋のご遺族様である石橋隆様より情報提供>


草間卓次(肖像) 墓地全景

*墓所は正面「草間家之墓」、左側に「草間滋君之碑」、右側に墓誌がある。墓所には草花がたくさん植えられ花壇のようになっている。

*上記埋葬場所には草間卓次夫妻の他、両親の草間滋夫妻、大叔母のすま、兄の毅一夫妻、妹の慶子(よしこ)が眠っている。 現在、次女の石橋淑子様と、その夫の石橋隆様が継承し維持管理に当っている。草間卓次は石橋隆様の母の従姉弟に当たる

*兄の毅一(同墓)は軍人、妹の美恵子は文部省社会教育官・実業家(高島屋)不破祐俊夫人、妹の徳子は直腸肛門外科の第一人者の小平正(3-1-9)夫人、弟の章(中村章)は「普選の父」と呼ばれた中村太八郎(9-1-8)の養子、妹の和子は教師の黒川晴次郎夫人、弟の隆は草間医院院長、弟の達也(黒川達也)は立川病院院長。 また、叔父の草間偉(いさむ)(雑司が谷霊園)は土木工学者であり、上下水道工学の権威である。 従兄弟の秦藤樹(とうじゅ)は抗生物質のロイコマイシンとマイトマイシンの発見者であり、北里研究所長。 同じく従兄弟の草間昌三は信州大学医学部名誉教授。

*草間滋のご遺族様にあたられる石橋隆様より2006年9月メールをいただき、掲載文章・写真のご提供をしていただきました。 この場をお借りし、深く感謝申し上げます。

*2006年11月に草間卓次の三回忌の法要が行われました。 ご遺族の石橋隆様が、当サイトをご覧になり、草間滋の没後70年に当たることにお気づきになられ、草間卓次の3回忌の際、併せて供養した旨のご連絡がありました。 石橋様は「亡くなったら全て無くなり、何年かしたら全て忘れ去ってしまうということでなく、その人が生きていたことをしっかり記録し、その人の人生や人格を時折思い出すことが一番のご供養になると私は考えております。」というお言葉を頂戴いたしました。 編集者としては大変光栄でありましたので、石橋様のご許可を取らせていただいた上で、この場にてご報告いたします。


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