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くらもと よういち

倉元要一

くらもと よういち

1878(明治11)〜 1942.11.12(昭和17)

大正・昭和期の政治家

埋葬場所: 12区 1種 17側

≪詳細な略歴は調査中≫

 明治大学卒業。立憲政友会の衆議院議員として活動。日独伊親善協会会員。1927.2.19(S2)衆院前で陸軍サイドカーにひかれ負傷した。
 '28.2.20第16回衆議院議員選挙に静岡3区から政友会で立候補し、2位当選した。1位は民政党の井上剛一。'39平沼騏一郎内閣で司法政務次官に就任し、次の阿部信行内閣でも留任(在任:1939.1.19-1939.9.19)した。興亜議員同盟、文部大臣秘書官なども務める。
 '42第21回衆議院議員選挙に静岡3区から無所属で立候補したが落選した。同年逝去。享年64歳。葬儀は東京の東本願寺で党葬が営まれた。葬儀委員長は総裁を務めていた中島知久平(9-1-2-3)、友人代表として坂下平八が弔辞をのべた。


*戒名は善篤院釋敬要。妻はシヅヱ。


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