メイン » » » 邦枝完二
くにえだ かんじ

邦枝完二

くにえだ かんじ

1892.12.28(明治25)〜 1956.8.2(昭和31)

大正・昭和期の小説家

埋葬場所: 22区 1種 45側

 東京麹町出身。本名は莞爾。旧姓は多湖。国枝幸之輔(後に邦枝)の養子となる。養父の国枝幸之輔は紀州家で馬術に長じており、維新後は山縣有朋に惚れこまれ抱えられた人物。養祖父までは紀州三百石取りの幕臣の家柄。養母のキンの実家が多湖家である。雅号は双竹亭竹水。母方の多湖家は浮世絵収集や江戸戯作者を好む通人であり幼少期より影響を受けて育つ。
 浮世絵など江戸文化への関心を強め、永井荷風に私淑。慶應義塾大学予科在学中に処女作『廓の子』が雑誌「三田文学」に掲載された。その後も同誌に『蝙蝠安(こうもりやす)』『柳ちる日』『栴檀(せんだん)樹下低唱』などの小説、戯曲、詩を発表した。一方で同誌の編集を手伝う。
 1917(T6)慶應義塾を中退(同時期に東京外国語学校にも在籍していたが中退)して時事新報に入社し、運動部記者を経て文芸部長になる。'20 帝国劇場文芸部に入り、戯曲集『邪劇集』『異教徒の兄弟』などを執筆。脚本や執筆の傍らで帝劇女優学校長を務めた。
 '23より作家専業となる。'28(S3)『東洲斎写楽』をはじめ『歌麿』『お伝地獄』『浮名三味線』と新聞小説を次々と発表。江戸情緒豊かに官能美を描出した作品を多く出し、時代風俗小説家として広く名を知られるに至った。
 平河町および下二番町(現在の東京千代田区麹町)に移住していたが、戦争の色が濃くなってきたことや、日本精工藤澤工場の工員慰安のため歌舞伎を上演することもあり、'40.1.20からは神奈川県藤沢市鵠沼に転居し、後半生はこの地で過ごすことになる。
 '45 終戦直後、隣家の評論家の林達夫らと「湘南文庫」「鵠沼自由大学」を開催した。'50『東京一代女』、'51『千姫』、'52『次郎吉娘』、'53『恋あやめ』と立て続けに佳作を発表。すい臓がんで逝去。享年63歳。'56 没年に『恋一筋』『銀座開化』『白扇』が刊行された。'72『大衆文学大系13 邦枝完二他集』がある。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大事典>
<小学館 日本大百科全書など>


墓所

*墓石正面「邦枝家墓」、裏面「昭和十一年七月 完二建之」。墓誌はない。同墓には長女で女優・エッセイストの木村梢、夫で俳優の木村功も眠る。孫は江戸時代から続く長唄三味線方の名跡で代々長唄佐門会の家元を名乗る7代目 杵屋佐吉(本名は武藤吉彦)に嫁ぐ。長男は4代目杵屋浅吉、次男が3代目杵屋佐喜であり曾孫にあたる。

*娘(次女)の恭江は(クニエダヤスエ:1932-2011.3.20)は帽子デザイナーとして活躍後、'78テーブルコーディネーターに転身し、テーブルコーディネートというジャンルを確立させたパイオニア。夫は写真家の佐藤明。文京区本郷の喜福寺に眠る。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。