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きむら こずえ

木村 梢

きむら こずえ

1926.11.6(大正15)〜 2019.10.28(令和1)

昭和・平成期の女優、エッセイスト

埋葬場所: 22区 1種 45側〔邦枝家〕

 東京麹町出身。父は小説家の邦枝完二(同墓)、長女として生まれる。旧姓は邦枝。妹の恭江(クニエダヤスエ)は帽子デザイナーやテーブルコーディネーター。
 文化学院女学部在学中より演劇運動に参加し、数々の学生演劇に出演した。'43「華々しき一族」で俳優の木村功(同墓)と共演をしたことが縁となり付き合いが始まる。学生時代は「邦枝こずゑ」名義で父の本『双竹亭随筆』などの表紙絵の制作をした。
 戦争のため文化学院は閉鎖となり繰り上げ卒業。'44 功が召集され海軍入隊前に結婚を決意し、父の邦枝完二に伝えるも許しを得られなかった。終戦後、功は復員で実家の広島に帰郷したが、家族全員を原爆により失っており、失意の中、再上京し、俳優座に入り志高く俳優業に取り組んでいた姿を見た邦枝完二は、二人の結婚を了承し、'48.4.1 結婚。同年暮れより神奈川県藤沢市鵠沼の邦枝家にて同居し、結婚生活をスタートした。
 '54.10 鵠沼を離れ、東京都渋谷区西原へ転居。主に映画女優として、'57「純愛物語」、'59「台風息子 花形三銃士」'60 「不死身の男」「白い崖」、'61 「悪魔の手毬唄」、'63 「警視庁物語 ウラ付け捜査」などに出演した。
 '81.7.4 夫の功が亡くなる。'82 講談社から『功、大好き 俳優木村功の愛と死と』を上梓しベストセラーになった。その後、エッセイストとして、'83 『花の日々に』、'84『竹の家の人々』、'87 『花咲いて花散って、今』、'88 『母送りの記 介護の日々』、'94(H6)『日の暮れぬうち』、'96 『東京山の手昔がたり』、2000 『少女の干もの』を刊行した。また、'85 木村功を著者として『功、手紙ありがとう』の編著として出版した際も話題となった。老衰のため逝去。享年92歳。

<現代日本人名録>
<訃報記事など>


*墓石正面「邦枝家墓」。裏面に建之者として邦枝完二の名が刻む。墓誌はない。木村功と梢もこの墓に合葬されている。

*娘は江戸時代から続く長唄三味線方の名跡で代々長唄佐門会の家元を名乗る7代目 杵屋佐吉(本名は武藤吉彦)に嫁ぐ。長男は4代目杵屋浅吉、次男が3代目杵屋佐喜であり孫にあたる。杵屋佐吉代々墓は東京都港区愛宕にある青松寺。

*妹の恭江は(クニエダヤスエ:1932-2011.3.20)は帽子デザイナーとして活躍後、'78テーブルコーディネーターに転身し、テーブルコーディネートというジャンルを確立させたパイオニア。夫は写真家の佐藤明。文京区本郷の喜福寺に眠る。


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