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こうの じゅうぜん

河野十全

こうの じゅうぜん

1897.10.10(明治30)〜 1998.3.24(平成10)

昭和期の思想家(宇宙憲法)

埋葬場所: 3区 1種 24側

 本名は義(よしのり)。群馬県吾妻郡中之条出身。1914(T3)上京。大家の書生をしつつ中央大学専門部に学び、実業界に入る。 1932(S7)上海事変に出征、その際、愛国第九河野号飛行機を国家に献納した。戦後は人間の研究に没頭し、1952(S27)人間研究所を開設。続いて真理生活研究所を設立。 人類の幸福と平和のため、主義宗派を超えた宇宙真理を探り、逐に人間生命の根源たる真空妙有の世界「気」を体得した。 宇宙的視野から人間の生きる根本の道「宇宙憲法」と「基本人権」を提唱。著書50冊以上、月刊「人間」発行、真理生活研究所所長、日本長老会専務理事、日本百歳会理事長を務めた。 国の宝というべき百歳者の生活を守り、かつ国民の敬老精神を高めるため精力的に活動した。本人自身も百歳長寿達成した。十全は号である。

<「気」で百歳まで生きぬく 河野十全著の著者略歴など>


こうの じゅうぜん こうの じゅうぜん

*墓所内には「世界平和に宇宙憲法 人類幸福に基本人権 人こそ神と平和の原理」と刻み内容が刻む碑がある。 また、「日本長寿会は会友の死後も多磨霊園に神魂の集いを企て永遠の友情保持のため尊名を胎するものである」と最後を結び名前が刻む。その中には多磨霊園に墓所を持つ者の名もある。
賀屋興宣 9-1-1-8  ・植村甲午郎 8-1-13  ・谷村唯一郎 3-1-15

*墓石右側にある「ひとこそ神である」と刻む碑の土台石には、河野十全(義)が1932(S7)2月上海事変に出征の際、丸坊主にした頭の毛、以来五十年余り毎回刈り蓄めた頭の毛が全部埋め込まれてある。 人こそ神の提唱者その人の髪塚である。という文面が裏面に刻む。なお、河野十全の戒名は宇宙憲法院真義十全大居士。


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