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こうはら ゆきなり

香原志勢

こうはら ゆきなり

1928.6.4(昭和2)〜 2014.11.16(平成26)

昭和・平成期の人類学者

埋葬場所: 20区 2種 10側

 東京出身。父は春秋社の編集人で哲学者の香原一勢(同墓)、子はサイエンスライターの香原知志(同墓)。
 1951(S26)東京大学理学部人類学科卒業。同大学院から信州大学医学部助手、助教授を経て、立教大学教授(一般教育部)となった。'94(H6)停年退官となり、名誉教授。'98帝塚山学院大学人間文化学部教授。専攻は人類学と比較行動学、人類行動学。人体と文化の関係について研究した。日本顔学会初代会長も務めた。
 著書も多数あり、『手のうごきと脳のはたらき』、『人類生物学入門』、『化石人類』、『人間という名の動物』、『からだ』、『第四紀』、『人類と文明の誕生』、『人類学との出会い』、『人類の進化』、『人間 この知られたるもの』、『2本足と4本足』など。1989(H1)『死と生をめぐる思索―石となった死』で毎日出版文化賞を受賞した。肺炎のため逝去。享年86歳。

<著書略歴、訃報記事など>


*墓石は洋型「香原家」。裏面が墓誌となっている。戒名は釋志学。右面に「昭和五十七年九月吉日 香原志勢 建之」と刻む。

*信州大学助教授の時に、長野県出身で巨人症患者であった松坂良光の計測を行った。松坂は小学校4年生までは平均的な体格であったが、風邪をひいてから急速に身長が伸び始め、13歳の時に190cm、18歳の時は217cmになっていた。香原が測定したときは、松坂は21歳で、219cmであった。その後も伸び続け、1年半後には231cmに達し、東京大学で手術を受けて伸びが止まった。'62.10.26 松坂は27歳で亡くなるが、その時の身長は238cm。これは、はっきりした証拠のある中で史上最も背が高い日本人とされている。香原は『ヒトの異変』という論文で松坂の事を取り上げている。なお、2017年の時点で日本人男性の20〜29歳の平均値は171.4cmである。また近代史の中で最も背の高い男性は、死亡時(最終測定時)に272cmの身長があった米国イリノイ州出身のロバート・パーシング・ワドロー(1918-1940)。


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