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こうはら ともゆき

香原知志

こうはら ともゆき

1958(昭和33)〜 2000.3.1(平成12)

昭和・平成期の記者、サイエンスライター

埋葬場所: 20区 2種 10側

 長野県出身。祖父は春秋社の編集人で哲学者の香原一勢(同墓)、父は立教大学名誉教授で人類学者の香原志勢。父が信州大学医学部助教授時代に生まれる。
 北海道大学水産学部卒業。卒業後、37歳まで水産経済新聞記者として、漁業界の記事を書き続けてきた。1995(H7)一念発起して、サイエンスライターとしてフリーの道を選んだ。
 '97東京湾の漁師や水先案内人、横断橋の建設に従事する潜水夫と、この海に生きるいろいろな人を通した東京湾をルポタージュした『生きている海東京湾―ここから日本の海がわかる』を講談社から発刊。この大作に対してインタビューで下記のように語っている。「東京湾に生きているいきものを全部あわせると17万トンになります。この数字は、相模湾を大きく上回っています。相模湾よりずっと狭く、濁っている東京湾のどこに、こんなにも、いきものを育む秘密があるのだろうか。こどもたちに、この海の恐ろしいほどの生命力の存在を伝え、生命力を生みだす仕組みを知ってもらって、自分の目で生きている東京湾の姿を見てみたいと海辺に足を運んでくれるこどもが100人も出てきてくれれば、それだけで僕が本を出した意味がありますよ」。この本は、翌年、産経児童出版文化賞の大賞を受賞した。編集に直接かかわった『森の新聞(4)ホタルの里』(大場信義・フレーベル館)も理想教育財団賞を受賞するというダブル受賞の栄誉に輝いた。
 主な著書に、『地球はえらい (みぢかなかがく)』(1996・松岡達英、城雄二と共著)、『ウミガメの旅―太平洋2万キロ (地球ふしぎはっけんシリーズ)』(1999・亀崎直樹、工藤晃司と共著)、『どうなる東京湾の干潟の生き物 (科学で環境探検)』(1999)がある。次なるテーマは「水俣」(みなまた)と意気込み、取材と調査を行っていたが、2000.3.1(H12)山陰の漁村に取材に行く途中、不慮の交通事故で逝去。享年40歳。

<MANAしんぶん 浜に生きる16「海という宝物のことを書きたい」>


*墓石は洋型「香原家」。裏面が墓誌となっている。戒名は釋知洋。右面に「昭和五十七年九月吉日 香原志勢 建之」と刻む。


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