歴史が眠る多磨霊園


こいで みつじ

小出満二

こいで みつじ

1879(明治12)〜 1955.5.28(昭和30)

明治・大正・昭和期の農学者、教育者

埋葬場所: 26区 1種 2側

 ≪詳細は調査中≫


 東京高等蚕糸学校校長。1930(S5)文部省が図書館事務講習会講師を嘱託。九州帝国大学農学部教授に就任。 兼務で、'36.10〜'38.4 第4代鹿児島高等農林学校校長を歴任し、次いで、'38(S13)第3代東京高等農林学校校長に任命される。 '44東京高等農林学校は東京農林専門学校に改称し、引き続き校長。なお、同時期に東京高等蚕糸学校は東京繊維専門学校に改称。戦後、'49東京農林専門学校は東京農工大学となる。
 '51財団法人農民教育協会が教育事業を引き継ぎ誕生した鯉淵学園初代学園長(鯉淵学園農業栄養専門学校)に就任。 「国民の幸せは、食足りて礼節を知る、農村部がきちんとしていなきゃいけない。そこに住む人たちの心の平和が保てなければいけない」という発想から、当時としては新しい言葉であった「ヒューマニティー」という言葉を使った。 ヒューマニティーとは、広い視野・科学的な見方と実践力を身に付けさせたいという意味である。
 農業史研究、農業経済研究、農政研究を主とし、後に中国農業の研究を行い、論文「斉民要術の異版につきて」は評価が高い。 主な著書に『農業教育』、『但馬牛産論』、『農学・農業・教育論』、『農村史話』、『肥後国耕作聞書』、共著に『デンマルク農村生活』、『福岡県郷土読本』など。 昭和初期の公民教科書や女子実業新教科書(農業編)なども著す。享年76歳。


*洋型墓石に小さく十字が刻み「小出満二家墓」と刻む。裏面が墓誌となっている。同墓には娘で日本語教育の開拓者・指導者と称され多くの日本語教師を輩出した小出詞子、科学史研究家の吉村証子も眠る。

*同墓には小出姓(満二、貞子、行子、詞子)と鈴木姓(恒治、さや子、稔、法子)の人物が眠り、そして吉村姓は吉村証子のみが眠る。どのような家族構成であるのかは不明。ご存知の方はご一報ください。


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