メイン » » » 小出詞子
こいで ふみこ

小出詞子

こいで ふみこ

1921.6.23(大正10)〜 2002.3.1(平成14)

昭和・平成期の日本語教育者

埋葬場所: 26区 1種 2側
〔小出満二家墓〕

 鹿児島県出身。父は農学者の小出満二(同墓)。姉妹に吉村証子(同墓)がいる。1942(S17)東京女子大学卒業。翌年、文部省の第1次派遣日本語教師の1人としてフィリピンに赴く。
 戦後、'48長沼直兄から新設の東京日本語学校に招かれる。'50第1回ガリオア奨学金を得てミシガン大学に留学し、後に同大学の言語学修士号を取得。 '53国際基督教大学(ICU)開学より留学生に対する日本語集中教育を始める。理論に基づいた教科書の作成、教授法の確立を目指し、これら理論と実践において世界の日本語教育の開拓者・指導者と称され、多くの日本語教師を輩出した。
 日本言語学会、国語学会に所属。'62外国人のための日本語教育学会(日本語教育学会)設立の原動力となる。 '67フルブライト奨学生としてマサチューセッツ工科大学とハーバード大学で研究。'71短波放送「Let’s Learn Japanese」に対し文部大臣賞を授与。 この放送は20年近く放送され、日本語に対する世界の関心を高めることに貢献した。'71モナシュ大学在日日本センター主任。 '74朝日カルチャーセンターの日本語教師養成講座の計画立案に携わる。'87 ICU定年退職し名誉教授。同年、新設の姫路獨協大学(HDU)の外国語学部日本語学科長に就任。これは私立大学初の日本語教育の専門課程として全国的に注目される。
 '91(H3)「小出先生の古稀をお祝いする会」が催され、それを契機に小出記念日本語教育研究会が発足した。 '93日本語教育の発展に大きく寄与した功績に対し勲四等瑞宝章が授与。'97 HDU定年退職し、名誉教授。著書に『日本語教育とともに』、『日本語―にほんご/にっぽんご』など。

<小出記念日本語教育研究会プロフィールなど>


*洋型墓石に小さく十字が刻み「小出満二家墓」と刻む。裏面が墓誌となっている。同墓には父で農学者の小出満二、科学史研究家の吉村証子も眠る。

*同墓には小出姓(満二、貞子、行子、詞子)と鈴木姓(恒治、さや子、稔、法子)の人物が眠る。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。