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かやはら かざん

茅原華山

かやはら かざん

1870(明治3)〜 1952(昭和27)

明治・大正・昭和期の評論家

埋葬場所: 7区 2種 32側 3の2番

 本名は廉太郎。家運の没落の中で新政府の小役人をしながら独学で漢学を学ぶ。 1892(M25)「東北日報」の記者となり、以後「自由新聞」「山形自由新聞」「人民」など自由党系紙をへて、1901「長野新聞」に入った。03政友会系の「電報新聞」に入り対露主戦論を唱え、翌04堺利彦・幸徳秋水・内村鑑三(8-1-16-29)ら非戦論者の退いたあとの「万朝報」に迎えられた。 日露戦争直後から10まで海外通信員として欧米に派遣される。帰国後は軍国主義反対の潮流に投じて〈民本主義〉を唱えた。 13(T2)雑誌「第三帝国」を石田友治と共に創刊し、自ら盟主となり、同誌上で民本主義を唱え、また14全国に広がった営業税反対運動の先駆的提唱者となり、〈小日本主義〉を放棄し、後藤新平に接近した。 20以来、雑誌「内観」を発刊し、東西文明の融合論から出発しながら〈霊肉の一致〉を要求して〈民生維新〉〈生活革命・社会革命〉を提唱した。

<コンサイス日本人名事典>


 


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