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かわじり とうま

川尻東馬

かわじり とうま

1877.1.16(明治10)〜 1924.2.16(大正13)

明治・大正期の新聞記者

埋葬場所: 13区 2種 12側

 秋田市出身。1897(M30)上京し、進歩党で事務員を務めた後、憲政党・憲政本党などで党報の編集などに当たる。1899 東京毎日新聞社記者となり、川尻琴湖(きんこ)の雅号で筆を揮う。
 1900 従軍記者として北清事変、1904 戦役第一軍に従軍記者として日露戦争を報道し名を挙げた。のち「万朝報」「東京朝日新聞」で活動し、'19(T8) 町田忠治の招きで報知新聞に入社、秘書部長として論説係を兼任した。記者生活の傍ら、普通選挙実現の運動にも参加した。'25 チフスに罹り伝染病研究所に入院治療中に逝去。享年49歳。
 妻の川尻清野(同墓)はプークの代表も務め、プロレタリア文化運動の活動家。長男の川尻東次(同墓)は人形劇団プーク創立者。次男の川尻泰司(同墓)は兄の没後に人形劇団プークを継いだ代表を務めた。娘のの則子は俳優の西村晃(12-2-37-23)に嫁いだ。

<大正過去帳>
<20世紀日本人名事典>


墓所

*墓石は正面洋型「川尻東次之墓 1908.10.30-1932.11.26」、墓石の上に人形を模したブロンズ像が座っている。墓石右に寝石墓誌「川尻 東馬 1924.2.16没 / 清野 1947.7.31没」。墓石左に寝石墓誌「川尻洋子 1923.9.17-1969.8.7」。墓石後ろの壁左上に「川尻泰司 1914.6.15-1994.6.25」、その下に「川尻恵美子 1933.4.14-2009.12.12」。墓石後ろの壁右上に「川尻原次 1943.11.11-1985.2.9」。


墓 右側 墓 左側 像


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