東京出身。父の川尻東馬(同墓)は東京毎日新聞記者で川尻琴湖の名として筆を揮った著名なジャーナリスト。また母の川尻清野(同墓)はプークの代表も務め、プロレタリア文化運動の活動家。長男として生まれる。妹の則子は俳優の西村晃(12-2-37-23)に嫁いだ。
中学を卒業後、絵を岡本帰一に学び、『子供之友』『少年戦旗』『世界童話体系』などの表紙や裏表紙に挿絵や漫画を担当した。力強い線による描写が特徴的であった。開成中学在学中より人形劇も始め、1926(T14)ダナ人形座、'27(S2)に人形クラブで美術と演出、人形製作を担当した。そして、'29『人形劇団プーク』(PUK)を創立。創立上演は人形クラブで旗上げ。なおこの時、川尻東次は21歳であった。
代表作「狼の目薬」('30、作・演出)「裸の王様」('30、脚色・演出・美術)。人形劇団プークを創立して3年後、川尻東次は、志半ば、弱冠24歳という若さで逝去。東次の言葉「たとえ ひとりになっても私は歩みをやめない。新しい仲間は必ず集まってくる。プークがやろうとするのはそのような人形劇の仕事だ!」とプーク人形劇場の正面口に刻まれている。なお人形劇団プークは弟の川尻泰司(同墓)が引き継いだ。
*墓石は正面洋型「川尻東次之墓 1908.10.30-1932.11.26」、墓石の上に人形を模したブロンズ像が座っている。墓石右に寝石墓誌「川尻 東馬 1924.2.16没 / 清野 1947.7.31没」。墓石左に寝石墓誌「川尻洋子 1923.9.17-1969.8.7」。墓石後ろの壁左上に「川尻泰司 1914.6.15-1994.6.25」、その下に「川尻恵美子 1933.4.14-2009.12.12」。墓石後ろの壁右上に「川尻原次 1943.11.11-1985.2.9」。
第364回 人形劇団プーク 川尻東次 川尻泰司 お墓ツアー
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