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かわじり とうじ

川尻東次

かわじり とうじ

1908.10.30(明治41)〜 1932.11.26(昭和7)

大正・昭和期の童画家、劇作家、
演出家、人形劇団プーク創立者

埋葬場所: 13区 2種 12側

 東京出身。開成中学を転じて日本中学卒。絵を岡本帰一に学び、『子供之友』『少年戦旗』『世界童話体系』などの表・裏表紙や挿絵、漫画を担当。 力強い線による描写すなわち人形劇を彷彿とさせる絵を描く点が特徴的。開成中学在学中より人形劇も始め、1926(T14)ダナ人形座、27(S2)に人形クラブで美術と演出、人形製作を担当。 '29『人形劇団プーク』の創立となる上演を人形クラブで旗上げる。代表作「狼の目薬」('30、作・演出)「裸の王様」('30、脚色・演出・美術)。享年25歳、後を引き継いだ川尻泰司(同墓)は弟。父の東馬(同墓)は新聞記者。

<児童文学事典>
<日本児童文学大事典>
<MATHU様より情報提供>


劇団の名称「プーク」(PUK)の由来について
 人形劇団プークは1929(S44)に創立された。創立のときの劇団の名は「人形クラブ」。
 人形クラブを創立した時代、1920年代はヨーロッパ全土を巻き込んだ第1次世界大戦がようやく終わり、二度と戦争を起こすまいとの願いから、様々な平和のための運動がおた。 ロマン・ローランやジョリオ・キューリーらの「平和の擁護」運動や中部ヨーロッパを中心とする青年たちの「ワンダーフォーゲル」運動などがあるが、その中のひとつに「言語の違いが意志の疎通の障害になり、 それが戦争につながる」と考えたザメンホフが、創案した国際共通語エスペラント(希望の人の意)運動がある。 プークを創立した青年たちは、このエスペラント運動にも関心をもっていたことから、自分たちが創った「人形クラブ」の名を、国際的にはエスペラント語で『LA PUPA KLUBO』正式名称とし、仲間内では、人形を意味するPUPAの "PU"と、クラブを意味するKLUBOの "K" をとって PUK(プーク)と略称でよんだ。 それがいつしか人形クラブの通称となり定着していく。戦後、'46年11月、劇団を再建にあたり、劇団名を 正式に「人形劇団プーク」 とした。これがプーク=PUKの名の由来です。

墓 右側 墓 左側 像


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