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かわい しゅうじ

川合修二

かわい しゅうじ

1900.2(明治33)〜 1987.4.13(昭和62)

昭和期の画家

埋葬場所: 2区 1種 13側 8番

 岐阜県出身。日本画家の川合玉堂・富子(共に同墓)の次男。兄の川合真一(同墓)は化学者。 1920(T9)帝展初入選。'27〜'34(S2〜S9)帝展出品。'37より新文展無鑑査出品するなど活動した。作品に『湖畔』などがある。 玉堂作品『多摩の草屋』や俳句・和歌などの本の監修も行った。晩年は陶芸家として作品を残している。

<講談社日本人名大辞典など>


墓所
墓 墓

*墓所には三基並んで建つ。真ん中「川合玉堂之墓」、裏面「昭和二年十月 川合芳三郎 建之」。左面に玉堂の生没年月日が刻む。墓所正面左側に五輪塔「川合とみ」、裏面「昭和三十二年十一月建之」。右面「昭和三十六年六月三日歿 芳○院釋尼◎富 行年八十八」(○=サンズイ+豆+寸、◎=玄+少)、とみ は玉堂の妻である。富子ともいうが墓石は「とみ」。墓所正面右側に洋型「川合家」。墓所右側に墓誌が建つ。川合芳三郎は玉堂のことである。墓誌は川合芳三郎の三男の圭三(T9.1.23歿・行年19才)から始まる。次に芳三郎の長男の眞一の三女の康子(行年3才)、芳三郎の長男で化学者・写真家の川合眞一(寶樹院釋眞誠:S44.2.4歿・行年75才)、眞一妻の静枝(S45.10.14歿・行年69才)、芳三郎の二男で画家の川合修二(真実院釋修浄:S62.4.13歿・行年87才)、照子、重男、三男と続く。川合三男(釋三寶:1951-2006.3.19)は玉堂の孫、玉堂美術館館長、鑑定家。なお玉堂の三女の国子は逓信省官吏の大倉尭信に嫁いだ。

*墓所内に建つ灯篭の裏面に「大洞正次郎」と刻む。大洞正次郎(おおぼら しょうじろう)は川合玉堂の妻のとみ の弟で、鈴木洋酒店取締役会長を務めた人物。


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