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ふなはし りょうすけ

舟橋了助

ふなはし りょうすけ

1877(明治9)〜 1963.5.11(昭和38)

明治・大正期の冶金学者、鉱山学者、地質学者

埋葬場所: 3区 2種 6側 3番

 宮城出身。伊達藩儒者の家柄の出身だったが明治維新後没落、苦学しながら仙台二高、東京帝国大学工学部へと進み、首席で卒業。
 採鉱冶金学を専攻。在学時に足尾鉱山の防毒工事の検査に関わった関係で足尾銅山の所長から古河財閥の理事長にまで上りつめた財界人の近藤陸三郎と知り合い、その縁で、陸三郎の長女の さわ(同墓)と結婚した。
 東京帝国大学助教授を経て、ドイツに官費留学。1901(M34)帰国後、'02 鉱山学科を新たに創設し主任教授となる。'03 工学博士。地質学の権威として活動していたが、1924.6(T13)48歳の時に、部下の不祥事がきっかけで教授を辞職し、東京帝国大学を退官した。退官時に特旨をもって位一級を進められ正四位に叙せられている。
 教授辞職のいきさつについては、丹羽文雄の著『人間・舟橋聖一』に、助手が手の込んだ工作をして「藁から金が取れる」という発見を見抜くことができず、鵜呑みにしたまま、化学者たちが集まる中で、その研究発表を助手と共に行った際に、立ち合いの学者たちの目をごまかすことができずに、助手の不正行為が発覚した。了助は助手の不正を見抜けなかったことに責任を感じ大学を辞めたとされる。しかし、地質学の権威である教授が藁から金が採れるという低次元の細工に騙されるものであろうかという疑問が残る。よってもっと深刻で陰湿なものであったのではないかともされている。一説によると、学内に敵が多かったため、研究室で何らかの不正が生じた際に、周囲からおそらく総攻撃を受け、退陣せざるを得ない状況に追い込まれたのではないかという推察もあるが真意は不明。
 退官後、無職になり、年齢的にも再就職が厳しく、恩給で余生を送る。しかし、教授時代と変わらぬ生活を送っていたため、自宅の土地を担保にしては銀行から借金を重ね、妻の父の近藤陸三郎(1897歿)の遺産分配金にまでも手を付けながら、生活水準を落とすことなく生活を続けていた。よって、日が経つにつれて舟橋家は深刻な経済危機に陥ったとされる。この頃、長男の舟橋聖一(同墓)は高校生の身にして短歌や戯曲を発表しており、了助が教授失職した翌年より東京帝国大学に進学し在学中は精力的に作品を発表、作家デビューもしたため、いつのまにか舟橋家の行く末は、長男である聖一の双肩にのしかかっていた。この時の舟橋家は了助、さわ、聖一の他に四人の子供をかかえていた。
 地質学が専門であったため、荒玉水道を敷設するための下落合における水道組合の役員をつとめている(東京・落合町水道組合員)。また、'32(S7)『落合町誌』の編纂に携わった。その他、国勢院嘱託、学術研究会議員、北海道帝国大学工学部創立委員、仙台育英会理事などを歴任したが単発が多く、ほぼ隠居生活であった。享年86歳。

<落合学「近衛町の成立前からあった舟橋邸」(落合道人)>
<『人間・舟橋聖一』丹羽文雄 など>


墓所 墓所

*墓石は和型「舟橋家之墓」、裏面「平成九年九月一日建之」。左側に墓誌があり、行年4才で亡くなった聖一と百壽の長男の雄之介から刻みが始まる。了助の戒名は理祥院殿青缶日了居士。妻は さわ(M9-S49.4.21:渓秀院殿妙澤青玲大姉)。聖一の戒名は文篤院殿青海秀聖居士。舟橋鏡一(H8.3.10歿・43才)、聖一の妻の百壽(H11.7.18歿・96才)、舟橋龍夫(H14.6.1歿・75才)が刻む。龍夫は聖一の一人娘の美香子の婿養子、鏡一は二人の子である。

*近藤陸三郎の長男、さわ の弟の近藤眞一は薬品貿易商や球磨川電気常務を務めた実業家。眞一の妻は鮎川義介(10-1-7-1)の妹なので、遠縁にあたる。

*舟橋聖一と妻となる百壽は従妹(いとこ)同士である。了助は四人兄弟(妹一人)の末弟で、次兄が百壽の父親であった。次兄が佐藤家に養子に出たため、百壽の旧姓は佐藤である。百壽は戸籍名で「百子」を通称名としていた。1926.7(T15)聖一と百壽は結婚することになるが、聖一はまだ21歳の学生(百壽とは同い年)であった。学生身分であるということに加えて、そもそもいとこ同士の関係上、四等身の血族結婚であることが問題にされ両家は大反対。結局この結婚は、やや態度を軟化させた了助を押し切って、最後まで承認しなかった花嫁の父親の参列がないままで、媒酌人を近藤陸三郎の妻の ひろ の弟夫婦がつとめての内輪の祝言が目白の自邸で執り行われた。母さわもこの結婚を快く思っていなかったとされる。結婚翌年、1927(S2)長女の美香子、'29(S4)長男の雄之介が誕生。近親結婚の負の兆候は雄之介を襲い、生後すぐに指の奇形は手術し快癒したが、三歳を待たずして原因不明の病気を引き起こし夭逝した。


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