歴史が眠る多磨霊園 |
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福沢捨次郎 | |
ふくざわ すてじろう | |
1865.9.21(慶応1)〜 1926.11.3(大正15) | |
明治・大正期のジャーナリスト、慶応義塾理事 | |
埋葬場所: 2区 1種 12側 5番 | |
福澤諭吉の二男として江戸に生まれる。1883(M16)慶応義塾を卒業し、1883〜1888(M21)アメリカに留学する。マサチューセッツ工科大学で鉄道工学を修めたのち帰国する。 山陽電鉄株式会社に技師として入るが、1901父の死に遭い、時事新報社の経営を引きつぎ社長となる。政治記事にかたよらず社会記事にも工夫をこらし漫画を入れるなど紙面を刷新する。 大阪時事新報社を設立してその社長もかねる。他に、慶応義塾評議員。1907(M40)5月〜1917(T6)10月まで慶応義塾理事を務めた。 <海を越えた日本人名事典>
*福沢捨次郎の妻は外交官で伯爵の林董の娘の菊。子は福沢時太郎、堅次。孫は福沢信雄で青山ブックセンター取締役を務めた。
同じく孫の福沢武は三菱地所の社長・会長・相談役、慶応義塾評議員会議長。同じく孫の和子は山越康雄と結婚するも離婚。
その子で曾孫の福沢克雄はTBSテレビドラマディレクター、演出家であり、「3年B組金八先生」「白い影」「GOOD LUCK!!」「さとうきび畑の唄」「砂の器」「華麗なる一族」等の演出を手がけ、「私は貝になりたい」で映画監督としても活躍している人物。
<福澤記念館の西澤氏による福澤家への公式の問い合わせによります。> *諭吉の長男で捨次郎の兄の福沢一太郎は9区1種7側12番のはずなのだが、その番地には福澤家はなく、新しい墓所が建ち並んでいる。諭吉の四男の大四郎の墓所は22区1種50側6番に眠る。 なお、大四郎の長男の福澤進太郎はフランス文学者、妻の福澤アクリヴィはソプラノ歌手、進太郎の長男の福澤幸雄はレーサーであり、墓所管理者を長年進太郎がつとめていたために、同墓に全員埋葬されている可能性があるが、墓誌には大四郎と妻の益子、戦死した三男の洋三のみしか刻まれていない。諭吉の養子の福沢桃介は9区1種7側1番である。 | |
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