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ほり たかひこ

堀 孝彦

ほり たかひこ

1931(昭和6)〜 2020.9.25(令和2)

昭和・平成期の倫理学者、英学者

埋葬場所: 22区 1種 84側

 日本統治時代の台湾の台北市出身。母方の高祖父は江戸幕府のオランダ通詞の堀達之助。曽祖父の堀孝之(達之助の次男)は薩摩藩士らの英国行き(薩摩藩英国留学生)やパリ万博に通詞として同行した人物。祖父は陸軍軍医・医者の村田豊作、祖母は堀孝之の娘のナリ(成)。父は政治学者の堀孝彦であり、台北帝国大学教授時代に生まれる。1942(S17)から父が九州帝国大学教授に移ったので一家も福岡へ移る。戦後は父が東京大学法学部教授になり一家も東京へ移る。
 1954 東京大学文学部倫理学科卒業。'61 同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。'61〜'86 福島大学教育学部教員となり倫理学と社会思想史を担当。'86 名古屋学院大学経済学部教授となる。2001(H13)停年退官し名誉教授。社会思想史学会、日本英学史学会、唯物論研究協会、日本平和学会で活動した。
 主な著書に『近代の社会倫理思想』(1983)、『英和対訳袖珍辞書の遍歴』(遠藤智夫と共著:1999)、『日本における近代倫理の屈折』(2002)、『私注「戦後」倫理ノート 1958-2003』(2006)、『大西祝「良心起原論」を読む』(2009)、『解読「英和対訳袖珍辞書」解読』(2010)、『近代倫理学生誕への道 民主主義の倫理と日本』(2014)を刊行。また、藤巻和夫と共訳で、J.V.マクグリン, J.J.トゥナーの『現代の倫理理論』(1964)がある。そのほか、高祖父を調査しまとめた『英学と堀達之助』(2001)、『開国と英和辞書 評伝・堀達之助』(2011)を出版している。

<堀孝彦『開国と英和辞書 評伝・堀達之助』などの著者略歴>


ほり とよひこ

*墓石が墓誌碑であり「堀の墓」と題し、母の みつ(1899-1950.2.6)から始まり、姉の妙子(1929-1983.2.24)、父の豊彦、父の後妻の甲子(1924-2018.11.13)、堀孝彦が刻む。

*母方の高祖父の堀達之助(1823.12.24-1894.1.3)はオランダ通詞(通訳)として活躍した人物。特にペリーが浦賀沖に黒船で来航の際の江戸幕府代表の通訳を務めた。これは吉村昭の小説「黒船」(1991)で有名である。またわが国最初に刊行された英和辞典を編纂した人物でもあり、バタヒア新聞の翻訳等に携わっている。墓所は長崎県長崎市鍛冶屋町大音寺墓域内の堀家墓地に眠る。

*曽祖父の堀孝之は薩摩藩士らの英国行きやパリ万博に通詞(通訳)として同行した人物である。1863(文久3)薩英戦争において、西欧文明の偉大さに痛感させられた薩摩藩は、幕府の鎖国令を犯して、1865(慶応1)15名の留学生と4名の使節団を英国に派遣した。この時、長崎出身にも関わらず、通訳として使節団のメンバーに加わったのが堀孝之である。留学生のひとりに高見弥市(22-1-5-11)がいる。高見弥市は元々土佐藩士の大石団蔵であったが脱藩し薩摩藩士になった人物。鹿児島中央駅東口広場にある薩摩藩英国留学生をモチーフにしたブロンズ像「若き薩摩の群像」(1987中村晋也制作)には、純粋な薩摩藩士ではなかった高見弥市、堀孝之のブロンズは制作されていなかったが、2020(R2)に二人のブロンズも制作され設置された。

*祖父の陸軍軍医、医者の村田豊作の略歴は堀豊彦の頁へ。


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