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ほんだ やすとら

本多康虎

ほんだ やすとら

1864(元治1)〜 1929(昭和4)

明治・大正・昭和期の子爵

埋葬場所: 12区 1種 3側 1番

 伊予宇和島藩9代藩主の伊達宗徳の次男として生まれる。幼名は虎丸。近江膳所藩第14代藩主で子爵の本多康穣(同墓)の養子となる。 先に康穣の養子となっていた本多康直(9-2-16-1)がいたが、官僚の道を歩み分家したため、1912(M45)康穣の死去に伴い、家督と子爵を継承した。
 妻は大和高取藩の第13代藩主の植村家保の娘の幸子(1875-1959 同墓)。長男は子爵を継いだ本多猶一郎(同墓)。 娘の松子は足利藩10代目にあたる子爵の戸田忠孝に嫁いだ。


本多猶一郎 ほんだ なおいちろう
1894(明治27)〜1948(昭和23)
12区1種3側1番
昭和期の子爵
 近江膳所藩第14代藩主の本多康穣(同墓)は養祖父。子爵の本多康虎・幸子(共に同墓)の長男。帝室会計審査局長官、侍従、主馬頭などを務める。1929(S4)康穣の死去に伴い家督・子爵を授爵し、華族制度の廃止まで継承した。
 妻は旧岩国藩主で男爵、外務官僚などを務めた吉川重吉の娘の寿子(1902-1985 同墓)。子は男爵の島津久厚に嫁いだ穣子、本多家の家督を継いだ康忠、康張、慶子。


碑


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