メイン » » » 平塚広義
ひらつか ひろよし

平塚広義

ひらつか ひろよし

1875.9.2(明治8)〜 1937.1.26(昭和23)

大正・昭和期の内務官僚、県知事

埋葬場所: 8区 1種 17側

 羽前(山形県)出身。新庄の士族の平塚栄次郎の長男として生まれる。弟に農林水産業の発展に尽くし文化功労者受賞の平塚英吉。
 上京し、東京帝国大学法科政治科に学び、日夜政治学の研鑽につとめた。1902(M35)抜群の成績を残して卒業。 文官高等試験に合格し、栃木県属を振り出しに、翌年、抜擢され内務省入りし、早くも大成を期待されるところとなる。'05福井県事務官、次いで参事官に栄進する。' 06宮城県事務官、第三部長、同年7月には長崎県事務官に転じ第二部長に就任し、長崎県政の進展と刷進に努めて名事務官といわれたが、その後も、'07三重県事務官、神奈川県警察部長、愛媛県・新潟県・兵庫県内務部長を歴任した。
 '16(T5)第17代栃木県知事('16.6.2〜'22.10.16)に推挙され、瑞宝章を下賜された。 '22第21代長崎県知事('22.10.16〜'23.10.25)に抜擢され、次いで、'23第17代兵庫県知事('23.10.25〜'25.9.16)に着任した。 兵庫県知事の時代には官立姫路高等学校開設、また甲子園球場が完成した際の知事でもあった。 '25第24代東京府知事('25.9.16〜'29.7.5)となる。'32〜'36(S7.1.13〜S11.9.2)第16代台湾総督府総務長官をつとめた。 台湾では台湾拓殖株式会社の副社長も歴任。なお、社長は児玉秀雄(8-1-17-1)。'39.12.19〜'47.5.2勅撰貴族院議員。参議院全国選出議員選挙管理委員会委員長を務めた。正3位 勲2等。享年71歳。

<コンサイス日本人名事典>
<日本歴代知事総覧>


*正漢字表記は平塚廣義。

*墓石正面「平塚家之墓」。戒名は常照院広道義居士。

*妻はシゲ。長男は九重京司という名で俳優として活躍した平塚広雄(同墓)。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・は | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。