メイン » » » 九重京司
ここのえ きょうじ

九重京司

ここのえ きょうじ

1910.2.16(明治43)〜 1985.7.2(昭和60)

昭和期の俳優、性神研究家

埋葬場所: 8区 1種 17側〔平塚家〕

 長崎出身。本名は平塚廣雄。父は東京府知事・台湾総督府総務長官・貴族院議員を歴任した平塚廣義・シゲ(共に同墓)の長男として生まれる。
 1931(S6)慶応大学文学部英文科卒業。松竹蒲田の助監督を経て、'33東宝に入社。第一次東宝劇団俳優、本社事業部長、明治座文芸部長などを経て俳優に転身する。
 '54(S29)「平手造酒」で映画デビュー。新東宝専属俳優として、'56「君ひとすじに 完結篇」を皮切りに、'57に9作品、'58に4作品、'59に2作品出演。 '60以降は新東宝をベースとしながら富士映画、大蔵映画にも出演し、「白蝋城の妖鬼」「海女の化物屋敷」「怪談異人幽霊」「怪談残酷幽霊」など怪談・幽霊ものの作品に多数出演。 '56「新妻鏡」では本名で脚本も手掛け、志村敏夫監督のもと、高島忠夫、池内淳子、島倉千代子ら後のスターが出演した。'57「関八州大利根の対決」も脚本を担当している。
 その後も、「照る日くもる日」、「海の小扇太」など多数の映画のわき役として活躍。'76日本・フランス合作映画の大島渚監督「愛のコリーダ」でも大宮先生役として出演している。最後の出演作は'79「少女縄化粧」(新東宝興業)。
 俳優のかたわら、性器崇拝を民俗学的見地から研究する性神研究家として寄稿、講演で活躍した。著書に『にっぽんの性神』、『ふるさとの性神』、『てんと虫狂騒曲 非政治的人間の性事的考察』などがある。享年75歳。

<芸能人物事典など>


*墓石は和型「平塚家之墓」。墓誌があり戒名は法泉院廣道玄雄居士。墓誌の享年は78才。妻はイク。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。