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ひらふく いちろう

平福一郎

ひらふく いちろう

1910(明治43)〜 2003.2.25(平成15)

昭和・平成期の病理学者、陸将、百穂所定鑑定人

埋葬場所: 5区 1種 10側 15番

 秋田県出身。祖父は画家の平福穂庵。父は日本画家・歌人の平福百穂・ます子(共に同墓)の長男。
 1935(S10)東京帝国大学医学部卒業。同大学の病理学助教授。'53昭和大学医学部第二病理学教室が創設されるや主任教授として迎えられる。 敗戦後の物質不足の社会情勢に加え、研究費も十分ではなく、想像を絶する悪条件のもとで新しい教室づくりに邁進した。'54日本血液学会総会で、「再生不良性貧血の病理」の演題で宿題報告を行っており、これは現在でも血液病理学は教室の大きなテーマとして引き継がれている。
 河北総合病院長、中央病院副院長兼企画室長などをつとめ、'70.1.23〜'77.3.16自衛隊中央病院長(2代目)に就任。陸将。自衛隊中央病院は、東京都世田谷区の陸上自衛隊三宿駐屯地内に所在する三自衛隊の共同機関としての病院である。
 主な著書は、'49『病理学』などの自身の研究をまとめた書物の他、『平福百穂素描集』など、父の関連本の編集や監修者として刊行している。 『平福百穂をめぐる書簡と葉書 共鳴するこころ』は兄弟(一郎・周蔵・久子)共著で出版。また、父の平福百穂の所定鑑定人もつとめた。呼吸不全のため東京都杉並区の病院で逝去。享年93歳。葬儀・告別式は二日後に吉祥寺キリスト集会で営んだ。


平福百穂墓

*墓石正面「平福百穂墓」。書は徳富蘇峰。墓所入口正面に和型「平福家之墓」と墓誌が建つ。

*弟の平福周蔵(1921-2010.4.14)も同墓(墓誌には行年91歳と刻む)。平福記念美術館に、多くの美術品を寄贈。


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