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ひがしおんな かんじゅん

東恩納寛惇

ひがしおんな かんじゅん

1882.10.14(明治15)〜 1963.1.24(昭和38)

大正・昭和期の歴史学者

埋葬場所: 17区 1種 26側

 慎氏八世。父は唐手家の東恩納寛裕でその四男として沖縄県那覇に生まれる。東大卒業後、東京府立高校・都立大・法政大・拓殖大などで教鞭をとった。 沖縄史を専攻、とくに「歴代宝案」の研究を基礎にした「黎明期の海外交通史」(1941)が知られる。 主な著書に「南島論攷」1941、「南島風土記」1950、「南島通貨志」1956、「東恩納寛惇全集」全10巻、別巻1などがある。
 そのほか琉球王家である尚家とも関係が深く、依頼により『尚泰侯実録』1924を著し(尚泰は琉球最後の国王。19代)、尚昌(尚家21代当主)の子、裕(22代当主)、文子、清子の名付け親にもなっている。
 寛惇没後はその業績を称え、沖縄を対象とする人文・社会科学分野の史的研究に業績を挙げた研究者に贈られる「東恩納寛惇賞」が設立された。 寛惇の蔵書類は現在沖縄県立図書館で東恩納寛惇文庫として管理され、多くの稀覯本や史資料、書簡・写真等が収蔵されている。 沖縄県では先の大戦により図書館や官公庁をはじめ、尚王家や旧家の史資料のほとんどが失われているが、その状況下にあって寛惇が生涯をかけて収集した史資料は、後世へ残された貴重な遺産として燦然と光を放ち続けている。

<コンサイス日本人名事典>
<仲村顕様より情報提供>


*沖縄県出身学生を支援した明正塾(1913完成)では初代寮監となり、'23(T12)に神山政良(11-1-10)に引き継ぐまで務めた。

*'55(S30)の徳田球一(19-1-31-2)の東京告別式では、同郷先輩代表として弔辞を述べた。


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