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はたの たかよし

波多野高吉

はたの たかよし

1867(慶應3.9.9)〜 ?

明治・大正期の裁判官

埋葬場所: 8区 1種 16側

 常陸国(茨城県)出身。土浦藩士の波多野弘の子。兄は東京高等師範学校教授の波多野貞之助。1899.5(M32)分家。
 1897.7(M30)帝国大学法科大学卒業。司法官試補を拝命。1899.3 検事に任じられ、1902 判事に転じ、京都地方裁判所判事、神戸地方裁判所部長、大阪控訴院判事などを歴任。この間、一年志願兵となり陸軍歩兵中尉を任官。また台湾総督府事務嘱託となり、臨時台湾旧慣調査会(1902年度)の委員に波多野、宮尾舜治(8-1-17-2)、愛久澤直哉の三名が任命され、農工商経済の旧慣習を調査した。
 '13.4(T2)高松地方裁判所長に昇進。第2次大隈内閣の閣僚の大浦兼武と衆議院議員の間で贈収賄が行われた疑獄事件「大浦事件」(高松事件)の裁判長を務めた。'16 大浦は起訴猶予となったが、残る被告は収賄罪で起訴され高松地方裁判所で審理された。

<人事興信録>
<世界大百科事典>


はたの たかよし

*墓所には4基。正面に和型「波多野髙吉 濱子 之墓」。墓所右側に和型「波多野あぐり墓」、裏面「明治三十九年一月四日卒」。和型「波多野豊墓」、裏面「明治四十三年一月十日卒」。墓所左に洋型「福永家」、右面「一九九一年五月十一日 福永基三 建之」、裏面が墓誌となっている。波多野高吉の二女で社会運動家の福永操、夫の福永基三(1993.6.8 行年81才)が刻む。

*波多野高吉の妻の濱子(M9.9生)は旧姓は岩村(養子で岩村家に入る)、高等学校教師を務めた教育者。長男は波多野武(M36.4生)、長女は文(M33.7生)、二女が操(M40.5生)。


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