歴史が眠る多磨霊園


Harry C. Kelly

ハリー・ケリー

Harry C. Kelly

1908.9.3(明治41)〜 1976.2.2(昭和51)

昭和期の物理学者・
GHQ経済科学局科学技術部長

埋葬場所: 22区 1種 38側 5番(仁科芳雄墓)

 ペルシルベニア州ウィルクスバーリで誕生。リーハイ大学卒、1936物理学博士(マサチューセッツ工科大学)。 母校、民間会社の研究員を経て、'37〜41年モンタナ州立大学助教授、准教授。 第二次大戦中はマサチューセッツ工科大学放射線研究所勤務。 '46GHQに入り、経済科学局科学技術部基礎研究主任から科学技術部次長、次いで部長となり、マッカーサーの科学顧問を務めた。 日本の旧体制を刷新、日本学術会議の創設に尽力するなど科学技術の復興に努める。 '50年4月には仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。 同年帰国、'51〜62全米科学財団副理事長、ついでノースカロライナ州立大学副学長を歴任。 '61日米科学委員会第1回会議共同議長を務めた。心臓発作で死去。

<科学は国境を越えて>
<「GHQ顧問ケリー」(『読売新聞』1999.5.24朝刊11頁)>
<MATSU様より情報提供>

*日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にした仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、 没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。

*仁科芳雄墓石左側に仁科芳雄の名と並びハリー・ケリーの名が墓誌に刻まれている。 墓誌には「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。 ちなみに墓石右側にはノーベル物理学賞を授与した朝永振一郎の分骨墓が建つ。 血縁関係でない人物同士の埋葬が厳しい多磨霊園ではとても珍しいケースである。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・は行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。