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はちじょう たかまさ

八條隆正

はちじょう たかまさ

1883.6.27(明治16)〜 1950.3.3(昭和25)

明治・大正・昭和期の公家、子爵、官吏

埋葬場所: 14区 1種 2側

 油小路隆董三男。八條隆吉四女遺子(ゆいこ、明治17.12.5-昭和44.2.3)と結婚。本籍京都府。1908(M41)京都帝国大学法科大学卒。翌年、以降税務監督局属兼大蔵属、同監督局事務官等歴任。 また産業組合中央金庫理事長、日本銀行・住宅営団各監事、内閣・大蔵省各顧問、帝国農会特別議員、国民貯蓄奨励委員会委員、学習院評議会会員等となる。 隆邦没後に子爵を継承し貴族院議員(子爵議員)となり研究会に属す。在任期間(T4.7-S8.4, S12.4-S21.2)。正三位 勲二等。

<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<平成新修旧華族家系大成>
<MATSU様より情報提供>


*八條家の墓所内には隆吉と隆正の墓石が子爵と刻み建ち並ぶ。


*八條隆正の次男である八條隆孟(たかなが)は、1933(S8)1月中旬に警視庁の特別高等警察(思想関連の事件を取り締まる)によって逮捕された。容疑は共産党活動による治安維持法違反。 同容疑には森俊成子爵の養子の俊守、岩倉具栄公爵の妹の靖子など計8名の華族関係者が連行された。
 主犯格の八条隆孟と森は、翌年の1月25日に判決が下り、隆孟は懲役3年の実刑判決、森にも懲役2年が言い渡された。 日本華族の特権階級という皇室の御を尽くすべき任務ある人物が共産党の活動をした罪はぬぐわるべきではないという裁判長の厳しい判決と共に、華族令24条に基づき除族までされ一般人となってしまった。 ちなみに、除族までされたのは隆孟と森の二名だけであり、他の者は素直に転向の意を表したとして起訴されず譴責処分という甘い処分で落ち着いた。

<華族・宮家名門の肖像>


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