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うたはし かずのり

歌橋一典

うたはし かずのり

1915.11.23(大正4)〜 2010.9.1(平成22)

昭和・平成期の実業家(ニチバン)

埋葬場所: 12区 1種 17側

 東京出身。絆創膏・セロハンテープを開発しニチバンを創業した歌橋憲一(同墓)の長男として生まれる。
 1940(S15)東京帝国大学薬学科卒業。父が社長を務める日絆工業(ニチバン)に入社。'47取締役、'61副社長を経て、'63社長に就任。販売ルートの開拓、商品の改良に努め、セロテープを文房具の三種の神器(他は速乾性インキ、ボールペン)と言われる程に浸透させ、粘着テープの総合メーカーに成長させた。'68株式を東京・大阪両証券市場第1部に上場させた。
 '73会長、'77取締役相談役、'79参与、'87顧問を歴任した。縦隔膿ようのため東京都港区の病院で逝去。享年94歳。告別式は千代田区神田駿河台の東京復活大聖堂(ニコライ堂)で営まれた。妻は八重子。

<物故者事典>
<訃報記事など>
<森光俊様より情報提供>


墓所 一以貫之

*墓石正面は「歌橋家墓」。裏面に「昭和十三年六月 歌橋憲一建之」と刻む。後ろの壁の真ん中に祖父の歌橋又三郎の座右の銘「一以貫之」と又三郎の略歴が刻む。壁の左右に墓誌がはめ込まれており、右側の墓誌は歌橋又三郎の前妻の かつ(1896.5.23歿・マリヤ)から刻みが始まる。又三郎の聖霊名はアンキサンドル。又三郎の右隣に後妻の志満(1936.3.21歿・ユニヤ)が刻む。左端に父の歌橋憲一(ワンリノ)が刻み、右隣は母の はな(1981.3.29歿・オリガ)が刻む。左側の墓誌には歌橋一典(エラスト)と一典の妻の八重子(2021.6.2歿・ダイア)が刻む。なお、歌橋家は又三郎以降は日本ハイリストス正教会所属のクリスチャン。墓所左側には又三郎建立の戒名が刻む墓石が建つ。

*一以貫之(いつもってこれをつらぬく)とは、一貫して変わらず道を進むことという意味。孔子とその弟子の言行を書いた「論語」の言葉。

*一典の妻の八恵子は山梨県出身の小野四郎の長女。1男2女を儲け、長男の歌橋正明(1952生)はニチバン執行役員などを務めた。長女の和子は住友ベークライト常務の山口磐に嫁ぎ、二女の協子は橋爪磯吉に嫁いだ。


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