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うしじま そうたろう

牛島惣太郎

うしじま そうたろう

1867(慶応3)〜 1944.10.8(昭和19)

明治・大正・昭和期のキリスト教伝道者

埋葬場所: 25区 1種 25側

 肥後国(熊本県)出身。洪恒太郎(のち日本聖公会司祭)が開いていた家塾でキリスト教に出会い、15歳のときに洗礼を受ける。1885.9(M18) 開校2年目を迎えた大阪三一神学校(桃山学院の前身)に入学。1890.7 神学校を卒業。その後、聖職者の道に進み、日本聖公会の司祭として活躍した。
 各地で伝道活動を行い、その活動は沖縄や台湾にまで及んだ。最後の赴任地となった福岡では、 日本聖公会九州教区司祭として教会の牧師も務めたが、主に福岡神学校の教授としてキリスト教の研究と後進の指導にあたった。 享年77歳。

<「大阪三一神学校卒業生・牛島惣太郎の足跡と日本聖公会史の一断面」企画展開催記念講演会>


墓所

*墓石は洋型十字架を刻み「牛島家之墓」。墓石を挟んで左右に墓誌が建つ。左側の墓誌は牛島惣太郎から刻みが始まる。行年は78才と刻む。妻は胡蝶(S37.1.10・86才)。牛島惣太郎と妻の胡蝶は再婚同士でそれぞれ連れ子がいた。胡蝶の左隣に刻む正宗栄(S58.11.29・79才)は二人が結婚してからの子である(胡蝶の連れ子の愛子、好子、トヨは刻みがないため嫁いだと思われる)。牛島惣太郎の子も同墓に眠り、32才で早死した長男の牛島義徳(S4.8.9・32才:二男の刻みがない)、3男で教育心理学者の牛島義友、義友の妻の道子(H17.6.8・84才)が刻む。右側の墓誌には牛島惣太郎の4男で地質学者の牛島信義から刻みから始まり、信義の妻の瑞枝子(1997.11.17・84才)、信義の著作の監修を務めた村井みどり(2009.6.5・59才)、牛島朝子(2018.4.2・78才)が刻む。


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