長崎県長崎市出身。日本聖公会九州教区司祭の牛島惣太郎(同墓)の4男。教育心理学者の牛島義友(同墓)は兄。
福岡県立中学修猷館、旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1930(S5)東京帝国大学理学部地質学科卒業。卒業後、北樺太石油に入社。'44 北樺太石油が吸収合併された帝国石油において、'53.1 探鉱部副部長、'54.5 生産部長、'56.3 参事、'57 地質探査部長、'58.11 中央技術研究所所長を歴任した。
'59.11 論文「院内油田の鉱床学的研究」により東北大学から理学博士を取得。同.12 帝国石油を退社し、'60.1 東北大学理学部教授に就任した。岩石鉱床学教室、石油鉱床学講座を担当。'71.3 退官。享年83歳。2017(H29) 村井みどり、牛島幹夫の監修により牛島信義を著者として『せいしょものがたり −東京聖十字教会月報「うつわ」より−』が刊行された。
*墓石は洋型十字架を刻み「牛島家之墓」。墓石を挟んで左右に墓誌が建つ。左側の墓誌は牛島惣太郎から刻みが始まる。行年は78才と刻む。妻は胡蝶(S37.1.10・86才)。牛島惣太郎と妻の胡蝶は再婚同士でそれぞれ連れ子がいた。胡蝶の左隣に刻む正宗栄(S58.11.29・79才)は二人が結婚してからの子である(胡蝶の連れ子の愛子、好子、トヨは刻みがないため嫁いだと思われる)。牛島惣太郎の子も同墓に眠り、32才で早死した長男の牛島義徳(S4.8.9・32才:二男の刻みがない)、3男で教育心理学者の牛島義友、義友の妻の道子(H17.6.8・84才)が刻む。右側の墓誌には牛島惣太郎の4男で地質学者の牛島信義から刻みから始まり、信義の妻の瑞枝子(1997.11.17・84才)、信義の著作の監修を務めた村井みどり(2009.6.5・59才)、牛島朝子(2018.4.2・78才)が刻む。