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うえむら こう

植村 攻

うえむら こう

1928(昭和3)〜 2014.11.27(平成26)

昭和・平成期の銀行家、クラシック音楽愛好家

埋葬場所: 2区 1種 12側

 東京出身。植村家は代々長府藩士として長府(山口県下関市)に居を構えていた。祖父の植村俊平(同墓)は政治家、大阪市長をつとめた。父は化学者・化学史家の植村琢、加寿子(共に同墓)の長男として生まれる。
 1950(S25)東京大学法学部卒業。卒業後、富士銀行に入行。'52より一年間、フルブライト留学生としてシカゴ大学に留学。帰国後、富士銀行に戻るも、'55.10〜'59.2ロンドン支店に勤務。帰国後は、富士銀行専務取締役、常任監査役、セイコーインスツルメンツ監査役などを歴任した。'70大阪万国博覧会では冨士グループ・パビリオン館長を務めた。
 趣味はクラシック音楽で、ロンドン支店勤務の海外滞在中、1950年代の欧米クラシック音楽界の黄金時代にコンサートの3/4をロイヤル・フェスティヴァル・ホールで聴きに行くなど貴重な体験をした。この時のことを、'96(H8)『巨匠たちの音、巨匠たちの姿−1950年代・欧米コンサート風景』(巻末に当時のコンサート演目リストを収録)で刊行。また蒐集したレコード音楽を、田園調布の自宅を開放し、毎月第4土曜に「玉川まちづくりハウス」の主催で「クラシック音楽を聴く会」という音楽会を開催し、毎回、40名ほどのクラシック音楽ファンが集まる場を提供した。享年86歳。

<「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」著者略歴など>


植村俊平の墓

*墓石は和型「植村俊平 / 室 多栄 墓」。右面に二人の没年月日、行年と戒名が刻む。墓石裏面は「昭和十七年十一月 植村琢 建之」と刻む。墓石の右側には古い墓石が二基並ぶ。墓所右手側に和型「植村家之墓」。裏面は「昭和五十五年九月 植村攻 建之」と刻む。墓誌が建ち、父の植村琢、母の加寿子の次に植村攻が刻む。戒名は浄智院法譽慈音攻道居士。妻の宣子は工学博士の山県昌夫の長女。

*琢の妻の加寿子は三菱財閥系の実業家の赤星陸治の長女。植村琢と加寿子の間に一男三女を儲ける。長男は植村攻。長女の照子は眼科医の古市功、二女のマリ子は黒田長栄、三女の栄美子は宇多小路勝に嫁いだ。


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