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おしだ すいう

押田翠雨

おしだ すいう

1892.9.29(明治25)〜 1985.5.21(昭和60)

大正・昭和期の洋画家、日本画家

埋葬場所: 22区 1種 99側

 東京小石川出身。本名は押田スガ子。旧姓は井上。哲学者の井上哲次郎の次女として生まれる。
 1911(M44)東京府立第二高等女学校(都立竹早高校)卒業。永地秀太に師事し洋画を学ぶ。'24(T13)二科会信濃橋(大阪)研究所に入り、'26赤松麟作に師事。'28(S3)岡田三郎助の研究所に入る。'32小林萬吾に師事した。
 戦後は日本画に転じ、'47水上泰生に学び、'51より野田九浦(22-1-40-1)に師事して日本画院に入会する。以後同会に出品し、'65 第25回 日本画院展で記念賞を受賞した。'81.11 89歳の時に新宿三越で「押田翠雨日本画展」を開催し、6曲1隻の屏風『孝女白菊』(東京都近代文学博物館)を出品する。高さ1.8メートル、幅5.5メートルの屏風絵。これは絵の上に「孝女白菊詩」全文を書いたものであったが、1888(M21)歌人の落合直文が発表した長編の新体詩がよく知られる同詩の原作が、父の井上哲次郎であることを示し、話題となった。肺不全のため東京新宿の慶應病院にて逝去。享年92歳。

<日本美術年鑑>
<日本女性人名辞典>
<講談社日本人名大辞典>


*墓石正面は十字架と「フランシスコ 押田三郎」と刻む。裏面が墓誌になっている。「ウェロニカ 押田スガ子」と刻む。翠雨の名は刻まれていない。

*夫の押田三郎(同墓)は沖電気取締役技師長(後に常務・専務)を務めた人物。子の押田勇雄(同墓)は物理学者・太陽エネルギー利用の先駆者である。

*人名辞典で本名を澄子、清子と記して すがこ と書かれているのを散見したが、墓誌にはスガ子と刻む。

*井上哲次郎の墓は雑司ヶ谷霊園(1-19-6)にある。


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