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おしだ いさお

押田勇雄

おしだ いさお

1914.9.5(大正3)〜 1988.4.10(昭和63)

昭和期の物理学者、太陽エネルギー利用の先駆者

埋葬場所: 22区 1種 99側

 神奈川県横浜市西戸部出身。父の押田三郎(同墓)は沖電気取締役技師長(後に常務・専務)を務めた。母の押田翠雨(同墓)は日本画家。
 1939(S14)東京帝国大学理学部物理学科卒業。東京大学助手を経て、'40名古屋大学工学部助教授となる。'50理学博士(東京大学)。'51小林理学研究所研究員となり、'53主任研究員 兼 学習院大学教授を経て、'65上智大学教授に就任した。
 太陽エネルギー研究所所長を務めるなど、太陽エネルギー利用の先駆者として多くの研究に従事した。特にオイルショック以降に太陽エネルギーの必要性に注目を集めた。主な著書に『太陽エネルギー』『エネルギー工学概論』『人間生活とエネルギー』『エクセルギー講義』などがある。'85停年退官となり、上智大学名誉教授となった。享年73歳。
 追悼文集の表紙を飾った格言「向かい風だから飛べるのだ」。飛ぶ力(揚力)は向かい風がないと発生しないが、これはもちろん人生にも当てはまる。逆境こそが人間を強くするという意味。

<20世紀日本人名事典など>


*墓石正面は十字架と「フランシスコ 押田三郎」と刻む。裏面が墓誌になっており、没年月日・名前。享年が刻む。母は墓誌には押田スガ子と刻む。


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