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おくの たけお

奥野健男

おくの たけお

1926.7.25(大正15)〜 1997.11.26(平成9)

昭和期の文芸評論家、化学技術者

埋葬場所: 25区 1種 44側

 東京都出身。最高裁判事の奧野健一(同墓)の長男。麻布中学をへて1952(S27)東工大化学科入学。 在学中、吉本隆明と出会い、伊藤整の影響を受けた。卒業後、東芝に入社し、 大河内記念技術賞を受けるなど化学技術者として活動しながら執筆し、'52『大岡山文学』に「太宰治論」を発表、 初の本格的な太宰論として多くの読者を得、批評家の道を確立した。
 フロイトやミンコフスキーを武器とした太宰の深層心理の分析が冴え、 マルクス主義運動から転向した倫理的自責に苦悩する内面をみずみずしい感受性によって描いている。 大地主の子に生まれ無頼に生きた太宰の姿に共感した評論は、'56増補出版、後に文庫化され、評論では異例のロングセラーになった。 '58吉本隆明、井上光晴らと「現代批評」を創刊。'61東芝を退社。 以後、左翼文学批判の評論や、太宰と同じ無頼派の作家の「坂口安吾」論などを発表。 現代と大正・昭和の作家論はおびただしい数に上るが、とくに伊藤整・高見順・室生犀星・島尾敏雄の作家論は、 ナルシシスムが自己否定として現れる作家にたいする奥野の偏愛を示している。 '93(H5)「三島由紀夫伝説」で親交のあった三島由紀夫(10-1-13-32)の文学を論じ、翌年芸術選奨文部大臣賞を受けた。 産経新聞で76(S51)8月から約16年間、文芸時評を担当した。肝不全のため死去。享年71歳。

<現代日本朝日人物事典>
<97/11/27 読売新聞朝刊 社会面 03段>
<五輪塔様より情報提供>



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