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おがさわら かずお

小笠原数夫

おがさわら かずお

1884.2.1(明治17)〜 1938.9.4(昭和13)

大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 12区 1種 10側 12番

福岡県出身。旧姓は島田。1904.10.24陸軍士官学校卒業(16期)、同期に土肥原賢二(大将)、板垣征四郎(大将)、永田鉄山(中将)、林大八(後に少将:7-1-13-23)、増田久猛(後に少将:14-1-26)らがいた。歩兵少尉に任官。
 '16.11.25(T5)陸軍大学校卒業(28期)、同期に山下奉文(大将:16-1-8-6)らがいる。'26.5.11(T15)下飛校研主事 兼 陸軍大学校教官などを経て、'28.3.8(S3)大佐に昇進し、飛行第五連隊長となった。'29.8.1航本第一課長、'31.12.9参本附としてジュネーブ軍縮会議の委員として随行。'32.8.25航本補給部長となり、同.12.7少将に累進し航本附。
 '33.12.20陸軍航空本部総務部長、'35.8.1関東軍飛行隊長、同.12.2飛行集団長を歴任して、'36.8.1中将になった。'37.3.1航本附、同.8.2再び陸軍航空本部総務部長、'38.6.18技本附となった同年.9.4に、病のため逝去。正4位 勲1等。享年54歳。陸軍航空部門の整備拡張につくした。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>
<講談社日本人名大辞典>


墓所

*正面墓石は和型「小笠原家之墓」。右側に「陸軍中将小笠原数夫之墓」、左側に当主の墓誌がある。この当主の墓誌とは別に当主の妻が刻む墓誌も別に建つ。当主の墓誌によると、小笠原数夫は十一代目である。この墓誌には、七代目の小笠原蔵人(弘化3没)、八代目の小笠原齊宮(天保14没)、数夫の子である十二代目の小笠原四郎(H9没)が刻む。妻の墓誌には十代目の小笠原長舒の妻である八重、数夫の妻であるヨシ、四郎の妻である良江の三名が刻む。

*当主の墓誌には小笠原数夫に関して下記の事項が刻む。漢字カナ混じりで刻むため、訳して下記に記す。 「慈航院殿源空徹心居士。昭和十三年九月四日。享年五十五才。陸軍中将正四位勲一等 小笠原数夫  小笠原家第十一代の祖。幼くして陸軍に入り、明治三十七年陸軍歩兵少尉となってからは、累進して昭和十一年陸軍中将に任ぜられる。つとに身を陸軍航空に授け、我が国の航空の建設・整備・教育・練成に務めた。陸軍航空本部に奉し日支事変の激務に従事中、病を得没す。」


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