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おだがわ ひこいち

小田川彦一

おだがわ ひこいち

1828(文政10)〜 1907.9.3(明治40)

江戸末期の幕臣、明治期のキリスト教伝道者

埋葬場所: 2区 1種 7側

 旧名は彦助、俳号は莱仙堂鳳嶺。御賄御膳役をつとめた幕臣で、幕末には小筒組肝煎となり、維新後は沼津添地2番地に移住、静岡藩の郡方捕亡役に就任した。廃藩後は印旛・熊谷・群馬の諸県に奉職。
 1884(M17)海老名弾正(12-1-7-18)から洗礼を受け、前橋教会や東京の新栄教会の執事・長老をつとめた。土木事業家で安全運動の先駆者である小田川全之(同墓)は長男。

<旧幕府(戸川残花)など>


*墓石は和型「小田川家之墓」。右側に墓誌がある。妻は郁子。墓誌には近山清右エ門の養女の千瀬(1784.6.1没)の名も刻む。

*全之の長男で孫の小田川達朗(1945.7.15没 同墓)は京都帝国大学工学部教授で、財団法人物理探鑛研究会理事を務めた工学博士。


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