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おだがわ まさゆき

小田川全之

おだがわ まさゆき

1861(文久1.2.22)〜 1933.6.29(昭和8)

明治・大正期の土木事業家(足尾銅山)、安全運動先駆者

埋葬場所: 2区 1種 7側

 旧幕臣小田川彦一(同墓)の長男として江戸小石川に生れる。 1883(M16)5月工部大学校土木工学科を卒業してから1886まで群馬県および東京府御用掛として土木事業に従事し、1887〜1890までは私設鉄道、その他民間土木事業に関係した。 1890(M23)古河家に入り足尾銅山で土木工作を管掌し、1897足尾銅山鉱毒予防工事を担当した。 1900欧米各国を視察し、帰朝後も引続き足尾銅山に在勤したが、1903本店理事となり、1906、1907に欧州に遊んで各国の土木鉱山事業を調査見学した。
 アメリカに銅の採鉱と精錬技術の調査に訪米した時に新しい技術と一緒に持ち帰った土産として「安全専一」と翻訳したスローガンである。 これは1915(T4)「安全専一」と名づけた作業心得を作り作業員全員に持たせるまでとなり、"安全必携"(安全第一)の先駆者となった。
 1911(M44)から足尾鉱業所長を兼任した。 それより先1909足尾鉄道株式会社を創立して取締役に挙げられ、1918(T7)国有鉄道をなるまで取締役社長として事業に尽瘁した。 1921(T10)4月還暦を期して後進のため古河合名会社から隠退したが、なお(株)古河銀行監査役の外、各種土木学会その他の会員として、鉱業発達史上に重大な役割を演じた。 1915(T4)2月工学博士の学位を受ける。

<日本人名大事典など>
<MATSU様より情報提供>


*墓石は和型「小田川家之墓」。右側に墓誌がある。妻は睦子。墓誌には近山清右エ門の養女の千瀬(1784.6.1没)の名も刻む。

*全之の長男の小田川達朗(1945.7.15没 同墓)は京都帝国大学工学部教授で、財団法人物理探鑛研究会理事を務めた工学博士。


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